「つばめの会」誕生に寄せて

今年の8月、千葉県柏市で、親が2歳の男の子にまともに食事をあたえず、餓死させるという、とても悲惨な事件がありました。

男の子は、未熟児で生まれ、NICUに入っていたことがあり、逮捕された父親はかつて、子供に摂食障害があって、工夫して食べさせても受付けなかったと証言していますが、死後の解剖で、男の子の腸から、おむつや猫のトイレの砂がでてきて、空腹の余り口にしたんだろう、と報道されると、親に対して「鬼畜親」「同じ目にあえばいい」という避難が集中しました。
たしかに、この事件自体は、虐待に違いないのかもしれないし、亡くなった子も、のこされたきょうだいもかわいそうだし、この親を擁護するつもりは全く無いけれど、自分自身自閉症児を育て、発達に課題のある子を持つ友人たちの大きな苦労のひとつが、子供の食に関するものであること、とりわけ、「ちゃんとした食事は食べないで、コケや土やプラスチックなどを口に入れる「異食」の存在を知っている身としては、「子供の摂食障害なんて、虐待親の言い訳」とか、「腸からおむつがでてきたんだから、子供はおなかがすいてて、食べたかったんだ」という意見ばかりなのが、なんとも気になっていたのでした。
なかでも、普段、医療事故などのマスコミの偏向した報道姿勢を批判している医療者が、なぜか、この件に関しては、マスコミの報道を鵜呑みにして信じて、親を激しく叩いているのをみて、とても、残念な気持ちにさせられていました。


そんななか、この報道をうけて、摂食嚥下障害の子供さんを育てているお母さんである、パンダウサギさんというかたのツイートは、「子供の摂食障害」の存在と、助けてくれるはずの医療者の無知さと無理解で傷ついて医療不信にいたる親の心情を訴えていて、とても心を動かされたので、togetterでまとめさせていただきました。
この「2歳児餓死事件報道をうけて」というまとめ 
が、2万プレビューを超えて、予想を超える大変な反響をいただきました。
「反響編」とあわせて、3万以上の方のアクセスがあり、2ヶ月たった今も、アクセスは地道に伸び続けています。

事件そのものの報道は、すっかりなくなり、世間の関心も薄れてしまったようなのに、まとめは今でも誰かが見てくれているということで、まとめ人としても、とてもうれしいです。

寄せられたコメントの多くは、「子供の摂食障害(乳幼児摂食嚥下障害)の存在を知らなかった。」「事件の報道の一部だけをみて、誰かを批判することはできないとおもった」「食べない子の親御さんの苦しみは、想像してあまりあるものがある。自分知らずに傷つけていたかもしれない」などの非当事者からの素直な驚きや反省をつづったものや、同じ悩みを抱えた人からの共感のメッセージなどで、多くの人が悩み、傷つき、追い詰められている現実も浮き彫りになりました。
「虐待してしまうかもしれない、自分も、子供を傷つけてしまうしれない」という葛藤を抱いているのに、医療者からも、福祉関係者からも理解されない苦しみから親と子供を救うためにも、「親の会」をつくって、つながりをもとうと、ツイート主であるパンダウサギさんが代表となって、「摂食嚥下障害児の親の会」が設立されたのでした。

会の名前は、「つばめの会」
嚥下を英訳したswallowを和訳して「燕」 嚥下の「嚥」の旁も「燕」ですが、これは偶然らしいです
私は、この名前を見て、最近すっかり嵌ってしまっている漫画「夏目友人帳」の第4話「ダム底の燕」(アニメでは「水底の燕」)を思い出しました。

妖怪を見ることができる夏目少年が、干上がったダム湖にいったとき、燕の妖にとり付かれ、それが縁で、「燕」が夏目にとりついてまで、一目会いたいと願った人間を一緒に探すというお話で、私には、夏目友人帳の中でも、何回読んでも涙がこぼれてしまう大好きな作品です。

ドラマCD「夏目友人帳」から「ダム底の燕」は、ニコニコ動画で聴けます

http://www.nicovideo.jp/watch/sm14338668

「燕」は、ひな鳥だった遠い遠い昔、巣から落ちたところを人間に巣に戻してもらったのですが、人間の匂いがついてしまったために、親鳥に兄弟たちと一緒に巣ごと捨てられたのです。

「飛ぶこともできず、きょうだいたちの命が次々に消えていき、私だけが最期まで生き残ってしまいました。 悲しくて、悲しくて、気がついたら、物の怪になっておりました。 けれど、ある日、茂みの中で悪鬼となり、動けなくなった私にエサをおいていく人間があらわれました。それは、毎日、毎日。 妖怪を見る力はないようでしたが、闇に目だけ光っている私を野良犬だとでも間違えたのでしょう。 それでも、私は、彼が運ぶ人の匂いに、拾ってくれた者のあたたかさを思い出して 村が水底に沈んだとき、心静かに眠れたのは、あの人のおかげなのです」

夏目の協力で、あの人=谷尾崎という男性は見つかりますが、彼には、「燕」の姿は見えません。それでも、うれしそうに、彼の周りで飛び回るようにしてはしゃいでいる「燕」の姿を見て、なんとか会わせてやりたいと考え、妖怪たちの祭りに紛れ込み、「一晩だけ人間の姿になれる浴衣」争奪戦に参加し、見事ゲットします。

眠っている「燕」を起こし、夕方、町内で行われる祭りに谷尾崎さんが参加するらしいので、この浴衣をきていっておいでという夏目


夏目 「『燕』人を、嫌いにならないでくれてありがとう」
燕  「優しいものは好きです。あたたかいものは好きです。だから、人が好きです」

夏目少年自身、両親を早くに失い、親戚をたらいまわしにされながら、そのうえ妖怪を見る力があることで、周囲から気味悪がられたり、嫌われて、寂しい日々を送っていました。それが、心優しい遠縁の藤原夫婦にひきとられ、同じ能力を持っていたと言う祖母レイコを知る妖たちとの出会いの中で、自分の存在を肯定できるようになりはじめたばかりなのでした。


「つばめの会」のような、障害や難病を抱えた子供を持つ親の会は、たくさんあります。
どの会も、有意義な活動をされていますが、同時にさまざまな課題があるのも事実です。
参加者の中でも、考えが分かれて、運営方針が定まらないところもありますし、分裂したり、解散するところも少なくありません。
私が所属していた「親の会」も、その年ごとの執行部の方針で、会の性格が変わっていきました。
執行部が、医療や福祉行政、学校と戦うべし!という年は、春の総会で代表者が拳をふりあげ
「やる気の無い医者や教師は、やめろ!」とやりだしたので、親同士相談しあったりしたいと参加した他の親地が、ドン引きするという場面もありました。
親の会や当事者の会が、親睦や情報交換を目的としたものなのか、行政や社会に権利を訴える「抗議団体」としていくかが、第一の分かれ道です

「つばめの会」はどうでしょうか
代表のパンダウサギさんは、当事者が陥りがちな陰性感情にとらわれることなく、現実を冷静に分析しつつ、いうべき意見を率直にいう人だと思います。
「つばめの会」は、「乳幼児の摂食嚥下障害」という医療関係者にさえ、殆ど知られていない問題にはじめて取り組む団体として、現状をつよく訴えていくという役割を帯びていると思います。

しかし、同時に、命を救ってくださったり、治療や看護に尽くしてくださった医療従事者の方々、手を差し伸べてくれた福祉行政や学校関係者や地域の人々の温かさも知っています。前出のまとめにも、医療や福祉関係者からの反省や共感を寄せるコメントがたくさん寄せられました。この幸福もしっているからこそ、いま、困っている親子が、正しく医療や福祉に繋がり、信頼関係が結べるように、その橋渡しがしたいと思われているのではないでしょうか。

夏目は、夏祭りの翌日、谷尾崎に、昨日の夜、青い浴衣をきた女の子に出会わなかったとたずねると
谷尾崎から、少し言葉の不自由な女の子に出会ったと、その日撮ってもらった写真をみせられます。
彼の横で、顔を赤らめて、恥ずかしそうに微笑む「燕」がそこにいました。
その幸せそうな「燕」の姿をみた夏目の目から、涙がこぼれます

「そうだね、僕も、人が好きだよ 優しいのも、温かいのも、 人も、獣も、もののけも 皆、魅かれあう何かを求めて 懸命に生きる 心が好きだよ」

この場面を何回見ても、私は泣けてしまいます・・・
私も、そんな人が好きで

そして、そんな「懸命に生きる心」を引き合わせ、妖と人、人と人、妖と妖とが理解しようと歩み寄ることで何かが生まれるという役割を持った夏目少年のようになりたいな~とひそかに思っているのでした。

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あひるよ、なくな~いのちの繋がりを信じて~

もうがんばれないと思ったときに、いつも読み返す詩があります。
それは、ある小学5年生の男の子が書いた詩です。

少年のお母さんは、目と耳が不自由で、お父さんが亡くなってから生活保護を受けていました。
黒いめがねをかけ、杖をついて歩けば、学校でいじめられるからやめてという子供が不憫で、もういっそ一緒に死んでしまおうかと考えましたが、こどもは「お母さんの年まで生きてみたい」といいます。こどもを残して死ぬこともできず、苦しい日々を送っていたとき、新聞で、思い脳性まひながら、唯一動く足の小指でキーをたたき、素晴らしい詩を書く青年のことをしりました。
そしてお母さんは、「生きる勇気を与えてほしい」と、その青年に手紙を書きました。
青年は、社会の厳しさをしらない自分なんかが何を言えるのかと悩みながら、最後にはただ、生きていて欲しいという願いをこめて、お母さんが障害者だからいじめるのは、いじめるほうがわるいのだから、くじけてはいけないと、詩をそえて手紙を書きました。
 

あれは とおいむかし
ぼくは ぜろせんの もけいを
ははに しつこく ねだった
ぼくの わがままに 
ははは ぼくを しかりつけた
なんで しょうがいしゃに うんだんや
ぼくは ことばを ぶつけた
ははは なんにも いわず ないた
それまで いちども なきがおを みせなかったははが ないた



自分の苦しさや辛さは、母親の苦しみでもあることを、青年はこの時、初めて子供心に知ったそうです。
その手紙と詩集をうけとった少年のお母さんから、さっそく返事がきました。そうして、この母子と青年の文通が始まりました。
1年後、小学5年の少年は、こんな手紙を書きました。
「ぼくは、お兄ちゃんと知り合って一年あまりになります。それまでのぼくは、つらいことばかり。こんな世の中を誰が作ったのかとにくらしく思う。毎日毎日泣いてばかりで、あの当時のぼくは、大きな池の中で溺れて死に掛けていた気がする。そこへお兄ちゃんが、大木を投げ入れてくれました。必死につかまって助かったんです。」
そして、青年に習って詩を作りました。

アヒルよ なくな

 うちの近くの池に
 やどなしのアヒルが
 二匹いる
 飼い主は、
 遠くに引っ越して行ったと
 きいた。
 おきざりになった
 アヒルは、
 夕方になると、
 かなしそうな声で
 グワーッグワーッグワーッ
 とないている。
 寒くて
 池の水が凍った時、
 動けなくて
 ないていたアヒル
 ぼくはかわいそうで
 パンのみみをやったのに…
 水がこおって
 泳げなくて
 グワッグワッグワ
 となく。
 「早う来い。氷の上をかけて来い。」
 とおもわずさけんだ。
 アヒルは
 ぼくの方へこようとする。
 でもアヒルは
 これなかった。
 少しの水たまりで
 行ったり来たり
 するだけだった。
 ぼくに
 小屋を作ってやることができたらなあ…
 と思いながら、
 帰ろうとすると
 アヒルがぼくをよぶんだ。
 グワーッグワーッグワーッと…
 ふりむいて見た。
 アヒルもぼくを見ていた。
 まめつぶのようなちっちゃな目が
 とっても大きくみえた。
 生きとれよ。
 明日になったら、
 氷がとけるけえよ。
 と言いながら、
 ぼくは
 耳をおさえてにげた。
 アヒルに心をひかれながら。

  

これは、30年ほど前の話です。
なので、この母子と青年を結びつけたのは、郵便でしたが、今ならネットでの交流になるのかなとおもいます。
この母子と青年の結びつきのような出会いを、私は、ネット上で、経験しています。
これを読んでくださっているあなたとの出会いです。
あなたとの出会いを糧に、私は生きています。
私も、あなたのことを思っています。

いのちをつなげていけますように…

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杯中の蛇影と不信という病

【杯中の蛇影】

晋の時代、楽広という優れた人がいて、江南省長官を務めていた時のこと

いつも来る親しい友人があったが、ながいこと訪ねてこない。広はふしぎに思ってそのわけをたずねてみた。すると、
 「このまえ、うかがって酒をいただいていたときでした。飲もうとすると、杯の中に蛇が見えるではありませんか。  気色がわるいけれど飲みましたが、それから具合が悪いのです。」
 おかしいことだ、と広は考えた。このまえ飲んだのは? ……役所の一室だ。あそこの壁には弓がかかっていたな?

 そうだ、弓には漆で蛇の絵がかいてあった。……広はまたその人を招んで、まえの所で酒をくみかわした。杯に酒をついで、客にたずねた。
  「杯のなかに、また見えますか?」
 「ああ、このまえとおなじに!」
 「その蛇は、あの弓の絵の影ですよ。」 
 客ははっと悟り、病はたちまちなおったという(「晉書」楽広伝)。

この故事からうまれた「杯中の蛇影」は、「疑いをもってみれば、なんでもないことに神経を悩ますことになる」という意味でつかわれるようになったが、私は、その説明には、少し物足りなさを感じている。

楽広は、友人の訴えを聞きとり、冷静に検証して再現、友人自身が気づき納得できる形で説明することで、友人の病を治したのだ。

この友人が患い、楽広が治した病こそ、現代の医療界を根幹から蝕んでいる「不信という病」に他ならない。

そして、私は、この故事のなかに、その治療法が示されていると考えている。

【たらいまわし体験】

私は、11年前の冬、長女を妊娠中、常位胎盤早期剥離にみまわれ、一旦入院した個人医院から高度医療機関に母体搬送されることになったが、なかなか受け入れ先が見つからずに、自宅で大量出血してから大学病院に収容されるまで3時間を要した、俗にいう「たらいまわし」を経験し、以降、医療問題に関心をもつようになった。

大学病院での入院期間は、私にとって価値観を大きく変える大きな出来事だった。周産期診療部では、ハイリスクの妊娠出産に望む多くの妊婦と赤ちゃんと、それを支える医師やスタッフに出会い、自分たちが、安心安全で当たり前と思っていた妊娠や出産が、現代でも高いリスクがあり、日本の高い安全性を誇る医療が、多くの医療従事者の努力と犠牲によって成り立っていることを初めて知ったからだ。

しかし、それはあまりに、それまで自分がいた世界とは隔離されていたために知ることのなかったことばかりで、退院後、自分のまわりの母親仲間に話しても、殆どの人が知らないし、ピンとこない様子だった。

反面、かかりつけ医に午前中受診し、前兆と思われる症状があったのに帰宅させられたことを、「それは医療ミスではないか」といわれることは多かった。

当時、医療事故や医療ミスに関する報道が盛んにおこなわれ、「患者本位の医療の安全を」という論調が強かったとおもう。長女は後に自閉症と診断され、障害児をもつ家族との交流の中でも障害の原因は、出産時の事故、医師のミスではないかと考えている親は少なくなかったが、名もない素人が病院や医師相手に訴訟を起こすことなど、まず不可能であったので

実際に訴訟を起こした人には、直接出会うことはなかったが、ほとんどの人が確証もないまま、「医療行為に過失があったのでは?」という不信感に苛まれながら、困難な子育てに忙殺されていた。

【訴えたいのか?!】

我が家に、自分用のパソコンとインターネットがやってきてから、自分なりにいろいろ調べたり、医師が多く参加していると思われる医療系の掲示板などに、自分の体験を書き込み、常位胎盤早期剥離の前兆だったのでは?とおもう症状について質問すると

「そんなことを今更調べてどうするつもりだ?その開業医を訴えたいのか?!」

「あんたや子供が無事だったのは、その開業医や受け入れ先のおかげなんだから、感謝しろ」というような返事を頂戴した。

自分でも調べてみて、「常位胎盤早期剥離」は予測が不可能なこと、母子ともに死亡することもある現代でも怖い病気であったこと、母子ともに元気でいられることがどんなに幸運であったかもわかり、関わって下さったすべての方に深く感謝している。しかし、同時にNST波が異常であったこととの関連性を知りたかったのだが、その「自分の身に起きたことを知りたい」という思いを「訴えたいのか?!」という言葉で切り捨てられたことに強いショックを受けた。

私には、そのつもりはなかったのだが、そう言わせた理由がどこかにあるのなら、それを知りたいと思うようになり、苛立ちを見せる医師(と思われる人々)の言葉を拾い、理解できないことは尋ねた。更に酷い言葉を返されることもあったが続けているうちに多くのことを知ることができた。

医師看護師不足、医師の30時間を超える連続勤務、過重労働からうつ病を発症し自殺した医師の遺言のこと

マスコミによる偏向報道、増える訴訟、過剰な期待や要求をする患者や家族のこと

当時、のちに「県立大野病院事件」「大淀病院事件」という改めて説明の必要のない大事件につながる「杏林割り箸事件」が医療系掲示板を騒然とさせていた。

現場の医療者たちも、深く傷つき、患者を信じることができない不信という病に苦しんでいたのだ。

以後、自分の身に起こったことから、本当に学ばなければならないのは何なのか?自分にできることは何なのかと考えるようになったが、そのあと長女の障害発覚、療育、自身のうつ病などのために、なにもできないまま年月がすぎた2007年、新聞で、京都府医師会の中に、医療・介護関係者、マスコミ関係者、一般府市民などがあつまり、医療・介護現場で起こっている様々な問題について、それぞれの立場からざっくばらんに語り合うことで、よりよい関係を築くための心得を探ることを目的に、「いまの医療、こんなんで委員会」が出来たことを知った。

【今の医療、こんなんで委員会】

その頃、インターネット上で、多くの医療従事者と話し合っていくなかで、「誰もこんな話は興味がないし、聞いてくれない。高い給料貰って、自分のやりたいことをやっているのに弱音をはくな、嫌なら辞めろと言われる。実際、多くの仲間が辞めていった。自分も辞めたいが辞めたら、この地域の医療はどうなるかとおもうと辞められない。だから、あなたのように関心をもって聞いてくれる人がいるというだけでとてもうれしいし、まだもう少し頑張ろうとおもう」といっていただくことがときどきあった。

実際、私ができたのは、「関心と共感を持って聞く」ということだけだったが、それだけでもいいということは、つまり、現場を守っている医療者の声を私たちが直接聞くという機会がないことが、医療者と患者側との溝の原因になっているのではないかと考えていた。

そんな時に、医師の中に同じように対話の必も要性を考え、その場として京都府医師会が提供するというニュースに感激して、すぐに京都府医師会に記事の感想をメールに書いて送り、それがきっかけとなって、こんなんで委員の一人として参加させていただくことになった。

初めて府医師会館に行った時、担当理事から「医療について、おかしいと思うことやわからんとおもうこと、なんでも遠慮せんという発言してや」と声をかけていただいた。

そして改めて、「患者側や医療者ではない一般の人たちは、医療の不確実性も限界も知らないから無茶な要求をするが、我々医師側も知らせてこなかったし、外部から批判されることを恐れて閉鎖的になってきたことを反省しなければならない。医者がなにを考えて診療を行っているのか、今の医療のなにが問題だと考えているのを、患者や報道関係者や一般の人に知ってほしいし、逆に、みんなが医療や介護について考えているのかを知りたい。

どんな意見や疑問にも、患者側に誤解や知識不足があれば説明して訂正し、こちらに非があることは率直に受け入れる。すぐにここでは変えようがない制度問題に終わってしまうのではなく、医療を受ける側、提供する側、両方が崩壊寸前の医療を守るために知るべきこと、心がけるべきことは何なのかを考えたい」という趣旨をお聞きした。

「今の医療、こんなんで委員会」のこのスタンスは、3年たった今でも変わらず、月に一度の定例委員会に加えて、さらに誰でも参加できるシンポジウムや公開委員会を、「妊婦のエチケット、医者のマナー」、「今、介護の現場では」、「看取りの現場~本音と建前~」、「医者の本音 患者の本音~あなたにとって良医とは~」、「生きざまと死にざま~リビングウィルのすすめ」をテーマに5度開いた。

公開委員会は、会を重ねるごとに参加者を増やし、100人定員に対して200人を超える応募があり、事務局はうれしい悲鳴をあげている。これは、市民もまた、医療者との対話の場を求めている証だと私は考えている。毎回、会場からの発言も熱心で、京都府市民の関心の高さをいつも感じることができる。

だが、こんなんで委員会や公開委員会は、一般市民である私たちにとって、医療がおかれている現状や、医療の不確実性や限界があることを知る機会だが、実際に起った個々のケースについて、それが不可避だったかどうかを判ずる場ではない。

自分や家族が医療を受けたあと、不幸な結果に至った時、そこに過誤があったのか、避けることのできなかったことなのかをしりたいのは当然のことだとおもう。

「訴えたいのか?!」と言われなくても、誰もが最初から訴訟を考えているわけではない。

費用や時間や労力をかけても、患者側には不利なことが多いし、結局知りたい事実が新たにわかったということは少ない。訴訟は相手のアラを探すだけで、真実を究明する場ではないからだ。

しかし、医療側にも患者側にも、消耗するだけで得るものが少ないのが現状だとしても、誰もが等しく持っている権利を制限したり、奪うことは不可能である。

訴訟を減らす為には、患者側にとっても医療ADRが普及し、利用しやすいものになっていくことが必要だ。

京都では医療ADRのようなものは以前から行われていて、1959年から保険医協会理事(会員医師)が患者側との交渉を当該医師に代行して実施し、1961年からは担当理事を選任して医事紛争処理部を発足させ、京都府医師会にも1962年に医事紛争処理室を設け、1965年に医事紛争検討委員会(医療安全対策委員会2003年)を発足させている。

【不信という病】

魏の将軍夏候玄は、道で遊んでいた、幼い楽広のひととなりの清らかさと怜悧さを愛して学問を勧めた。

楽広は、のちに見出されて官についたあとも、つつましやかで、でしゃばらず、人の話によく耳をかたむけるたちの、澄んだ瞳の持ち主であったらしい。江南省の役所に現れた化け物を狸と見破った話もある。

彼は、友人から、蛇の話を聞いた時、「私が客に蛇入りの酒などふるまうわけがない!事実無根のいいがかりだ!」と跳ね返すことも、「弓に描かれた蛇の絵が映ったくらいで病気になるなんて、なんという腰ぬけだ」と嘲笑することもしなかった。むしろ、自分への遠慮から、その場で言い出せず、気持ちの悪い思いをさせてしまった友人に申し訳なく思っていたかもしれない。

杯に映った蛇は、絵が映りこんだだけで、蛇そのものではなかった。しかし、蛇の影は、たしかにあり、人を不安にさせるのには十分な事実なのだ。「影だけだったから、なにもないということ」と言われても、不安は払拭されない。

この友人も、杯中の蛇が、酒に映った絵だったと指摘された時、「恥をかかされた」「蛇そのものじゃなくても、蛇の絵がうつることが気持ちわるいのだ」と開き直って楽広に怒りをぶつけるわけでなく、自分の勘違いだったと納得して心を鎮めることができる人物であったからこそ、自らの「病」を治すことができたのである。

私のように狭量で臆病な人間ならば、楽広の招かれても、怖い蛇のいる館を再び訪ねることもなかったかもしれない。

楽広の人柄をよく知っていたことも大きいが、この人の率直さや素直さも見習いたい。

そもそも、なぜ、人は蛇におびえるのか。

不老不死のイメージを持たれている蛇は、絶対的な知識の象徴であり、蛇が巻き付いた杖は、ギリシャ神話の医学を司る神アスクレピウスの杖として、世界保健機構(WHO)の紋章としても知られている。

現代に生きる私たちにとっての蛇影は、医療、医学に対する絶対的な知識と未知なるものへの怯えと畏怖なのかもしれない。

不信の病は、医療者と患者間の医療不信にとどまらないが、不信の原因を正しく検証して突き止めるだけではなく、楽広はどうしたか、彼の友人はどうであったかの両方を常に考えて行動することが、どんな場合にも重要ではないだろうか。

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第二回メディ・カフェ@関西無事終了

ご報告がおそくなりました

去る10月10日、第二回メディ・カフェ@関西「医療にどこまで求めますか?~“救児”と医療紛争解決の現場から~」無事に開催することができました。

前日より大阪入りされたロハス・メディカル論説委員で「救児の人々」著者である熊田梨恵さん、周産期医療崩壊をくい止める会の松村有子さんのお二人は、もともと関西のご出身ということで、ひさしぶりの大阪の空気や町並みの雰囲気を楽しんでいらっしゃるようでした。前夜の懇親会では、あろうことかゲストの熊田さんに料理を取り分けさせ、かつ「給仕(給餌?)の人っすねっ」などという失礼な私の物言いにも、大変うけて頂きました。関西人ってすばらしい!

さて、メディ・カフェ当日は、心配された天気も持ち直し、肥後橋Albinoのテラスは日差しが暑いくらい。Medicafe_006blog

スピーカーのお二人は、緊張したとおっしゃっていましたが、お二人のお話とも分かりやすく、参加者の皆さんにも大変好評でした。Medicafe_002brog

熊田さんからは、脳出血を起こして緊急搬送先を探していた東京都内の妊婦(36)が、七つの医療機関から受け入れを断られ、出産後に亡くなった都立墨東病院事件で問題になったNICU不足の取材をはじめ、そこでNICUの現実を知ったことが「救児の人々」執筆のきっかけになったことを話されました。

取材により、周産期医療の現場に携わる関係者は、医療の進歩によって、かつては救われなかったケースでも救命されたが、果たしてこれで良いのか?と悩み、重度の障害をもって生まれた赤ちゃんの家族も治療や介護に疲れている現実を知りました。

一方で、「NICU」という言葉さえ知らない、その実態にいたっては、知る機会もない一般の人との情報の非対称や認識のズレ、死生観や想像力の欠如が問題であると考えるが、答えをだすことも、現場やご家族の複雑な心境やとりまく現状を聞いたインタビューの内容をまとめることもできずに悩まれたそうです。

しかし、川口恭ロハス・メディア社代表のアドバイスもあって、「取材したものをそのまま出そう、まず知って、一緒に考えてもらえるようにしよう」と「救児の人々」を出版されたのでした。

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松村さんからは、県立大野病院事件で被告になった医師を支援するために作られた「周産期医療崩壊をくい止める会」に寄せられた佐藤章教授の、被告医師だけでなく、周産期医療そのものの危機を乗り越えるためには、被告医師の無罪が確定して終わりにしてはいけないのだという思いをお話してくださいました

どんなに手を尽くして、ミスもなくても、救えないこともある。でも、赤ちゃんや妊婦が亡くなった時の悲しみを一番知っているのは産科医。悔しいとおもっているのも産科医。それを逮捕され、裁かれることの理不尽。

世間の人々との溝をうめるために、周産期医療の崩壊をくい止めるためには、百万言を費やすよりも、行動を起こすことが大切だと、生まれて間もない赤ちゃんを育てながら大変な思いをされているご遺族の助けになることをしたいと始められたのが妊産婦死亡されたご家族を支える募金活動でした。

また、医療を受けた結果に納得がいかない患者や家族が、訴訟にたよらずに病院側と話ができる、医療ADRを普及させることにも尽力。松村さんも携わっておられ、実際にあった相談をもとにした例をあげて、医療ADRの内容を説明していただきました。

スピーカーからの話題提供終了後は、一旦ティーブレイク。

お茶やチョコレートケーキを頂きながら、参加者同士やスピーカーと雑談しながら交流、そのあと、全体で意見交流となりました。

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参加者は、医師や助産師などの医療関係者や特別支援学校の教師や主婦などさまざま。

「特別支援校でも、子供の障害が重度化し、子供やお母さんの悩みも多様化していると感じている。入所施設でも、入所者や介護者の高齢化が深刻だときいている」(教員)

「別の病院に収容できていれば助かったというような報道の仕方をされるが、医療者から見れば違う認識をしている。どんなに手を尽くしても、助からないこともあるし、命だけ助かっても重い障害が残ることもある。どんな場合でも絶対に助けるという方向で正しいのか」(医師)

「日本の医療は船のようなもの。定員を超えて客を乗せていて、いつ転覆するかわからないが、乗客はそれを知らない。個人のミクロの視点ではなく、映画『タイタニック』をみるような全体を見渡すマクロの視点をもたなければならない」(医師)

「子供に病気が見付かったあとは、親にとっては、何度も手術や治療を繰り返す一本道しかない。あとで振り返って、それが正しかったのかわからない。でも、治療する以外を選ぶことができたのだろうか?」(主婦)

「最先端医療の研究室にいるが、この治療法が実用化されても、『救児の人々』とおなじようなことがおきるのではないか。日本の医療制度は、実に絶妙なバランスの上に成立っているが、国民の多くがそれをしらないとおもう」(大学職員)・・・などなど、それぞれの立場からの意見も沢山いただきました。

答えの出せる話ではなく、今後も、この「医療にどこまで求めるのか」というテーマは、別の切り口でまた取り組み続けていきたいということでお開きとなりました。

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第2回メディ・カフェ@関西(京都改め)のおしらせ

第2回 メディ・カフェ@関西

 医療にどこまで求めますか? ~“救児”と医療紛争解決の現場から~(仮)

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「生きていたい」「生きていてほしい」「手を尽くして救いたい!」でも・・・医療の限界と矛盾を前に、家族の苦労と医療現場の苦悩は限界に達しています

極小未熟児や生まれつき病気があって以前は助からなかった赤ちゃんも、ガンや脳卒中などの致命率の高かった疾患も、日々進歩する医療の力で、命が救われるようになりました。しかし、一方で、命は救われても、社会復帰できる人ばかりでなく、植物状態や重い障害が残り、介護する家族や医療現場にとって重い負担となっている現実があり、その過酷な現状は、当事者以外には殆ど知られていません。大切な家族や自分が、当事者になる前に知って欲しい事、社会の一員として考えてほしいことを、「救児の人々」筆者、熊田梨恵さん(ロハス・メディカル論説委員)と周産期医療の崩壊をくい止める会、松村有子さん(東大医科学研究所特任助教)のお二人をお招きして、一緒に考えてみませんか?

第2回メディ・カフェ@関西

医療にどこまで求めますか?~救児と医療紛争解決の現場から~

◆スピーカー  熊田梨恵(くまだりえ)さん (「救児の人々」筆者、ロハス・メディカル論説委員)

          松村有子(まつむらともこ)さん(周産期医療の崩壊をくい止める会、東大医科学研究所特任助教)

◆司 会    山根希美(やまねのぞみ) メディ・カフェ@関西カフェマスター

◆日時     2010年10月10日(日) 13:30~16:00

◆会場     Albino肥後橋 http://www.Albino.co.jp

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◆定員 30名(定員になり次第締切らせていただきます)

◆会費 1500円(ケーキと飲み物つき)

◆お申し込み方法  住所、氏名、連絡先(メールor電話番号)、職業、スピーカーへのご意見やご質問などをお書きのうえ、メディ・カフェ@関西事務局medicafe.west@gmail.com までお申し込みください。

※お寄せいただいた個人情報は、当イベントの運営のみに利用させていただきます

チラシPDFファイル  「medicafekansai4.pdf」をダウンロード

イラスト提供:ふわふわ。り

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メディ・カフェやります!!

「SEXをすると妊娠します」「下から産んでも、お腹から産んでも、あなたはお母さん」

そんな当たり前のことを忘れつつあることが、昨今の産科医療崩壊や、妊娠や出産で傷つく女性たちを生んでいると考えた現役産科医師が、「妊娠の心得11か条」としてまとめ、ネット上で発表されると大反響をよびました。
その作者である産科医宋美玄先生と
出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援を考える【泣いて笑って】代表藤本佳代子さんを囲んで、忘れられがちな「当たり前だけど大切なこと」について、話し合いませんか?

第1回 メディ・カフェ@京都

「~妊娠する前に知りたい伝えたい~妊娠の心得11カ条」

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◆スピーカー:
*宋美玄氏(産科医、無双舎刊「産科女医からの大切なお願いー妊娠・出産の心得11カ条」著者)

*藤本佳代子氏(出生前診断の告知のあり方と自己決定を支援する【泣いて笑って】代表)

◆司 会: 山 根 希 美 氏(医療サポーター養成所代表)

◆日 時: 平成22年 3月 21日(日)14時~16時30分

◆会 場: 京都市男女共同参画センター ウィングス京都 2階セミナー室B

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 地下鉄烏丸御池駅(5番出口)または地下鉄四条駅・阪急烏丸駅(20番出口)下車徒歩約5分
※一般のお客様用の駐車場はありませんので、電車・バスなど公共交通機関をご利用ください。

◆参加費:1000円(コーヒーor紅茶付)

◆定 員: 50名(定員になり次第、締め切りさせていただきます)

◆申し込み方法:住所、氏名、連絡先(電話orメールアドレス)、職業、スピーカーへのご質問やご意見などをお書きの上、メディ・カフェ@京都事務局(メール)genjibosi@nifmail.jpへお申し込みください。                       

◆案内チラシ:「medi-cafe6.pdf」をダウンロード  

イラスト提供:「ふわふわ。り」http://shimizumari.com/fuwa2li/  

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すずかん文部科学省副大臣さま

なんだかんだといいながらも、新政権はじまりました。
オールスター内閣ですか。
たしかに、いままでの派閥の数あわせ第一で、だれがどこでもいいような人事ではない気もします。
ロハス・メディカル読者におなじみの鈴木寛議員が、文部科学省副大臣に就任し
http://lohasmedical.jp/blog/2009/09/post_2042.php
という記事がでてたりします

さて、鈴寛と教育というと、思い出したのが、こちら↓

http://tsyosh.cocolog-nifty.com/blog/cat20728012/index.html

「教育から変えていかなきゃダメです。
 中学校で医療の現状や今後を考えさせるプログラムを。
 小学生には難しい、高校生にはストレートに伝わらない。
 中学でそういう教育するのがいい。必要なんですよ。」
 
すずかんを拉致してスイッチオン。持論を熱く展開するK氏w
また素晴らしいと思ったのは、このゲリラ的な急襲をかわさず
呼応して、がっぷり受けて立つすずかんさんでした。
 
「うんうん、先生のおっしゃるとおりです。
 私も医療に限らず教育は本当に大事と思っている。
 教育の再興、コミュニティスクール…構想を進めてますよ。」
 
私も加わり、しばらく路上ゲリラ討論は続きました。
ふむ、なかなか熱い人です、すずかんさん。

なんか期待しちゃうなあ
不安な人も多いでしょうが。

もう一個、すずかんさんについて、ちょと前にでた記事とそのコメント欄
「臨床医は新人議員にメールを送って」―民主党・鈴木寛参院議員 コメント欄|ロハス・メディカル ブログ
http://lohasmedical.jp/blog/2009/09/post_2004.php

国会議員なら自分から現場へいけ、忙しい臨床医にメールよこせとは何事か!いままで散々パブリックコメントおくってんだよ、厚労省がもってんだろ!それ嫁!!
議員の教育は、党の仕事だろ、ごるあ!!

というご意見には、もっともだとおもうところもあるものの、なんか違和感がぬぐえません。

それって
「医者なら患者が何もいわなくても分かって当然」とか「だから研修医には診られたくない」というのと似てませんか?
わかってていっているかな
つまり、意趣返し?

そういえば、「ギブ&テイク」っていうエントリーもありましたね?
http://tsyosh.cocolog-nifty.com/blog/cat20193534/index.html

このなかで紹介されている「ある非医療者」の言葉はすばらしいですね。

「最新の医療をベテランの医師のもとで、見世物にならずにうけたい。
 医師不足の現状を知っていても、新人の養成に協力したくない。
 そういう思いは、たしかにあってもしかたないのかもしれません。
 
 あのトピをみて「ちいさな白いにわとり」の話を思い出していましたが、
 「ギブなしのテイク」まさにそうですね。
 見学などへの協力ということもですが
 嫌なことは嫌だと意志を伝える努力も「ギブ」だとおもいました。
 なにも意思表示しないでは
 良い人間関係は築けないものだと私もおもいます。」

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地域医療再生の処方箋

少し前のことですが
先日のETV特集「地域医療再生の処方箋」
http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html
録画しておいたものを、ゆっくり観ました。
今回は、スタジオでの5人の対談が中心で、演出としては面白くはなかったかもしれないが、じっくり聞くと、なるほどと思うお話ばかりでした。
結論としては、
「病院以外の場所で医療を語る場を持とう」ってとこなんですが
「それが出来る余裕があれば、最初から…」という反論が帰ってきそうですね。
でも、出来ているところは、それこそが第一選択薬だと考えて“処方箋”を書いているんですよね。

25年前から、医療スタッフと市役所の職員と民間の福祉関係者が、ひとつのチームになって2週間ごとに在宅ケアをしている遠野
「ナイトスクール」で、町民に対して情報発信と議論の場所を提供している藤沢
地方議員向けの勉強会を開いている富良野
市民を巻き込んで若い医師の育成に取り組む東金

とくに「目的にかなった方法を選択していくべき」という佐藤先生のご意見には、つるっとまるっと激しく同意なのでした
地方議員の不勉強も無理解も大問題だけど、選挙に落ちたらただの人になってしまう議員と、免許があれば、どこででもやっていける自分たちとの立場の違いにも目を向けなければいけない、市民に対して情報を発信し、市民の理解がすすめば、おのずと議員も変わってきます、と。
これとは別のことだけど、氏のブログ
http://motomix1955.at.webry.info/
でかいてらした
「「森は海の恋人」を合い言葉に,室根山に広葉樹を植林して,豊かな漁場を守ろうという取り組みがされている。
そのぐらいの気の長さが医療や介護に失われている。」という言葉にもつながることだとおもいます。

そんな悠長な…ってとこでしょうが、急がば回れ、貧すれば貪すともいうじゃないですか

医療者も役人も議員も市民も、お互いの立場を思いやれれば、それが結局自分のためなんだと気づけば、まだ「再生」に間に合うはずです。
番組の中でも、言われていましたが、医療だけの問題ではなく、地方の崩壊が進んでいて、そのなかで、一番脆弱な「医療」から崩れてしまったということであり、ここを捨てておくと地方全体が崩壊してしまうでしょう。
それは「日本全体」と考えても、同じことではないでしょうか。
自分は病気なんかしないし病院がなくなっても関係ない、とか
医療が崩壊したら困るのは患者だけで、自分たちは関係ないとかという問題ではなく、「国」レベルの崩壊が進んでいる中で、一番弱い「医療」や「福祉」からほころびはじめているだけだと考えるできなんではないでしょうか。

ぜひ、再放送していただきたいです。

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ホワイトバブル?~医療問題ブームの今後~

先日、府医「今の医療こんなんで委員会」に参加させていただきました。

今回は、医療同様、崩壊寸前の「介護問題」について。

「高齢者医療」については、

「もっと知る努力を」http://genjibosi.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_6164.htmlでも、友人の日記を紹介させていただきましたが、私自身はまだ、介護は未体験です。

介護問題の専門家を迎えて、現場の切実な声を聞かせていただき、とても勉強になりました。

クレーマーやモンスター○○と言われる存在は、医療でも介護でも、そのほかどの業界にでもいるものですが、人数そのものは、とても少ないのです。

「給食費未払い」の問題で言われていたのが、1%ですが、この1%という数字は、昔から変わっていないようです。で、なにが問題かというと、本来は普通の人なのに、そのモンスターに影響されて後天的にモンスター化しちゃう人たちです。

その「本来は普通の人」が巻き込まれて、クレーマーになってしまったり、たった一人でも、要注意人物が施設の中にいるだけで、職員の手も神経も多くがそちらにさかれ、他の入所者が後回しになってしまったり、職員の心身の疲弊が激しく退職者も多い、残されたものの負担が更に増す、という医療崩壊と同じ現象がおきているのです。

おどろきは、「介護保険」は、掛け金をかえているのだから、死ぬ前に使わなければ損!と考えて、本来は家庭で介護可能な人も、入所させる家族や希望する人が多いということです。審査は必要ですが、実際は、家族の経済力やマンパワーなどは関係なく、本人の能力のみでの判定になっていたり、とりあえず申請しとけっていう申請が多いと、そのために多くの人が動かなければならず、それだけで費用も人手も食われてしまうということが理解されていないのです。

介護保険というのは、健康保険と同じく社会保障制度であり、「助け合い」の制度であって、「積み立てておいて、どかっと使う」という性質のものではありません。

利用者は権利を行使するのではなく、医療も介護も福祉も、限りのある「資源」であると考えて、有効に活用しながら保護していかなければいけないのです。

「資源」の有効活用と保護というと、近年の「環境問題」の取り組みにヒントがるのではないでしょうか。

いま環境業界では、オバマ大統領のグリーンニューディール政策に代表される、「環境問題と経済活性と雇用問題を一気に解決しちゃおう!」という動きが活発です。

地球温暖化やオゾン層の破壊や資源の枯渇や、そういう環境問題についてのアピールは、昔からされていましたよね。

「ああ、たいへんなことになるんやなー人類ほろんじゃうんかな~」とおもいつつ、でも自分や子供の代でどうとかっていう話ではないやんなーと思っていたら、実はもっと逼迫した問題だったということも、最近知られるようになりました。
それって、ずっと訴えてきた人たちの力であり、メディアの力でもあります。
そのおかげで、一般の私たちにも
「まあ、環境破壊で地球滅亡って感じィ~?」
っていう感じを持つ人が増えてきて、土台として出来てきたわけです。

環境資源の浪費のもとに利益をあげて来た企業も、便利な使い捨てから、「エコ」をうたった商品を開発したり、古い製品を下取りしたりという環境対策をしはじめました。たとえば、太陽光発電で作った電力を電力会社が、通常の倍の料金で買取り、その電力を供給しようというのがひとつです。

そして、国も環境対策を勧める企業には、補助しようじゃないの?っていう動きがでてきました。言い方をかえれば、環境問題に取り組んでるから偉い!ってことを口実に、企業へ税金を投入ってことになるわけですが、そのおかげで、いまは長年、大企業の反発の元にかなわなかった環境対策が、実現しやすくなっています。

環境問題に取り組んできた運動家たちの間では、「グリーンバブル」と呼ばれている状況なのです。

しかし、一方でエコを口実にした企業献金だという批判もあります。
また、電力会社の電力買取のために、電力を使用するほうが支払う電気料金を値上げされますが、これにも批判があるわけです。
いまの不景気な時代、高価な太陽光発電をつけられるような金持ちのために、ライフラインである電気料金を値上げするとは何事か!ってことですね。

しかし、不景気で雇用不安の強いいまだからこそのチャンスでもあります。
限り在る環境資源を守ることと、雇用不安の解消を一度に解決しよう、そのために国が税金を投入することと、国民も協力する必要があるということを理解しなければいけないんです。

なぜ、「バブル」なのかっていうと、そのうちはじけて終わるっていうことなんでしょうね。そして歴史を振りかえると、こういうことは何十年かごとに繰り返してきて、そのたびに改善されてきたこともあるそうです。なので、環境家の人たちは、この千載一遇のチャンスを最大限に利用し、バブルがはじけた後も逆戻りしないように、この間に、ブームが終わったら忘れられてしまうようなものでなく、きちんとした制度や法律という「かたち」に残そうと活動しているそうです。

で、これって「環境資源」を「医療資源」に置き換えると、まさに今って「医療崩壊バブル」っていえると思いませんか?

医療や社会福祉での問題は、最近起こり始めたことではなく、ずっと昔からあったことですが、最近になってやっと報道されはじめ、私たち一般人にも知られるようになりました。私たちにとっては、寝耳に水の「医療崩壊・介護崩壊」ですが、その現場を支えてきた人は、心身ともに限界です。いま、注目を集めている「いま」だからこそ、思い切った取り組みが必要ですし、いまがチャンスなのです。

環境問題が「グリーンバブル」なら、医療問題は「ホワイトバブル」とでもいいましょうか。医療も介護も福祉も、日本では、ひとまとめにざっくり予算を削られてきたのですから、ここでは全部ふくめて、「医療・社会福祉バブル」ということでもあるかとおもいます。

グリーンバブルの崩壊は「先のことを考え続ける」ことがだんだんしんどくなって、別の(多くの場合目の前の)ことに関心を移す人がある程度増えてくると、「関心が薄れたのは問題が片付いたからだ」と考える人が急速に増えてきて一気に別のテーマに関心がうつるというメカニズムで生じるようです。

70年代初頭の公害への関心は石油危機に、90年代初頭の地球環境ブームはバブル崩壊に関心がシフトすることで沈静化していきました。

〈医療問題バブル〉も似たような経過をたどる可能性がありますので、崩壊のプロセスを知っておくと参考になるかと思います。

そうして考えると、私たちが目指すものや出来ること、しなくちゃいけないことが、わかってくる気がするのですが、どうでしょうか。

そうはいいつつ、私たちが「法律」や「制度」を作るというのは、ちょっと無理っぽいですよねえ

大切な「第一歩」は、まず知ること。

現場の声をきくこと。残る力はすくなく、掻き消えてしまうかもしれないけれども、切実な声に共感を持って聞き、自分たちの問題だと考えることです。

病気や怪我は、しない人はずっとしませんが、老いは必ずやってきます。あなたの両親、あなた自身、だれもが皆老いていくのです。

「こんなんで委員会」では、「妊娠の心得11か条」のように、介護を受ける側、介護する側それぞれの「心得」を作ろうと、それぞれがまず案を持ち寄ることになりました。私は、まだ介護の経験がないので、切実なところがわかりません。皆さんも一緒に考えていただけないでしょうか。ご意見おまちしております。

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シンポジウム原稿

先日、初めてのシンポジストを経験させていただきました。

私がお話させていただいた原稿です。

はじめまして。私は、府内に住む二児の母親です。

今日は、昨年ネット上で話題になった「妊娠の心得11か条」を紹介させていただくために、お時間をいただきました。

はじめに、今日、「妊娠の心得」の紹介をしようと思った理由をお話ししようとおもいます。

私は9年前、長女を出産したとき、テレビや新聞で「たらいまわし」と言われている経験をしました。自宅で突然に大量の出血をし、一旦入院した個人病院から設備の整った大きな病院に搬送されることになったのですが、受け入れ先の病院がなかなかみつかりませんでした。先生が何軒も電話をして探してくださり、やっと

京都市

内の大学病院に搬送され、緊急帝王切開で長女が生まれたのは、家で出血してから4時間近くがたっていました。

「常位胎盤早期剥離」という順調に経過している妊娠中に、突然、赤ちゃんが生まれるより先に胎盤がはがれるとても危険な病気でした。大学病院での10日間の入院を経て、母子ともに無事に退院することができましたが、この経験から私は、産科医療に関心を持つようになり、それから一年後に、自宅にインターネット環境が整うと、医療関連のサイトや掲示板に参加するようになりました。

ネット上では、自分と同じようなハイリスクの妊娠や出産を経験したり、出産や妊娠に対して高い関心のある人たちが、理想の出産について意見を交換したり、産科医をはじめとする医療に従事している人たちが、産科の医療現場で何が起こっているのかを伝えようとしていました。私が経験した「たらい回し」といわれている救急患者の受け入れ不能や、医師不足による連続30時間以上の過酷な勤務や、医療訴訟の増加による現場の萎縮など、現在言われている問題のほとんどがすでに存在していました。

私も、自分が経験したことについて調べたり質問したりしていたのですが、医療者側からは、常位胎盤早期剥離は予測不能で、貴方や子供が無事に助かったのは、かかりつけの医師の手当てや判断が正しかったことと、受け入れてくれた病院のおかげなのだから感謝するべきだ、そんなことを今になって調べているのは、裁判でも起こすつもりなのかと責められ、その言葉には強いショックをうけました。

当時、1歳だった長女に発達の遅れが見つかり、悩んでいたのは事実です。

障害をもつ子供を育てることは心身ともにつらく、うつ病にもなりましたが、だからといって誰かに責任をかぶせようと思ったことはありません。

長女を出産した日、救急車から運び込まれた手術室で、むかえてくださった先生方やスタッフのみなさんの姿を何度も思い出し、たくさんの人のお世話になってやっと助かったのだからがんばろうと思い直して乗り越えてきました。

一方で、出血した日の昼間に受けた検査で、子宮の収縮の波形が、特徴的なものであったのではないかということや、自宅で出血してすぐに、かかりつけへ電話したときの「妊娠後期の出血はよくあることで心配ないから、来院する必要はない」という対応は正しかったのか、緊急の搬送が必要になったときに、搬送先が見つからないというのは、問題ではないかという疑問もありました。それを「訴えたいのか」と責められ、ただ自分の身に起こったことが何だったのかを知りたい、もしも改善されるべき点があるなら改善して他の人のためにいかしてほしい、と考えることは間違っているのかと悲しい気持ちになりました。

しかし、その気持ちは、医療の現実や実情を知るうちに、変わっていきました。「訴える」という言葉で深く傷ついていたのは、私たち患者側だけでなく、医療者も同じだとわかったからです。

医療事故について民事で争う医療訴訟は、医療事故にあった患者や家族の立場で見れば、真実を知りたい、問題点は明らかにして改善していってほしいという願いをたくせる唯一の方法です。しかし、事故について何も解明されていないうちに、偏った報道によって被告である医師や病院側を「悪もの」であるようなイメージが定着されてしまうことは、被告側の名誉を傷つけるだけでなく、国民に医療不信を植え付けてしまう危険があります。また、原告であるご本人やご遺族への悪辣なバッシングも許されることではありませんが、争う立場になれば避けることは困難です。そして、それだけの犠牲を払っても、裁判で真実は明らかにすることもかなわず、患者側も医療者側も互いに疲弊し、さらに傷も溝も深めてしまっているのが現実なのです。

本来、私たちが戦う相手は、病気や傷であり、医療者と患者は一緒に戦うパートナーであるはずです。私たちがしなくてはいけないことは、対決でも対立でもなく、対話であり、相手の話に共感を持って耳を傾けることなのだと考えるようになりました。医療者の中にも同じ考えをもち、対立の構造を抜け出そうと呼びかける人が増え、私もネットを通じて多くの人たちと出会うことができました。

その一人が、今日ご紹介する「妊娠の心得」を作られた宋美玄先生です。

宋先生は現役の産婦人科医です。以前からご自身のブログで、出産で赤ちゃんやお母さんが亡くなったり、重い後遺症が残ると自分たち医師もとても悲しいし、本当にどうしても救えなかったのか、他に方法は無かったのかを何度も議論したり、シュミレーションを繰り返して検証しているが、それでも赤ちゃんや妊婦の死亡はゼロにはできならない。出産は、現在でも危険を伴うもので、100%の安全は保証できないのに、不幸な結果になると、裁判になったり、警察によって医療者が逮捕されることで、医師不足が加速し、受け入れ不能の病院をさらに増やすことになっている現実を多くの人に知って欲しい、という思いを書き綴っておられました。そして、未受診の飛び込み分娩や脳出血を起こした妊婦の受け入れ拒否のニュースをうけて、出産のリスクや、妊娠中には、赤ちゃんの安全と健康第一に考えて欲しいという願いを伝えるためにこの「妊娠の心得」を作られたのです。

ただ医療者側が一方的に、理解を求めるだけでは信頼関係を取り戻すことは出来ない、

医療者側も知識や技術をさらに高める努力を約束することを忘れてはいけないし、この心得についても、いろんな年齢層や立場の人たちとひろく意見を出し合って、もっとよいものにしていきたいとおっしゃっています。

では、前置きが長くなってしまいましたが、「妊娠の心得11か条」を読み上げさせていただきます。お手元に資料があるかとおもいます。詳しい説明はそちらをお読みください。

妊娠の心得

第1条、         ックスをしたら妊娠します。

この世に100パーセント避妊する方法は、セックスをしない以外にありません。(ピルですら100%ではありません。でも、もちろん避妊することは望まぬ妊娠を大幅に減らすことが出来るので、妊娠したくない人は必ず避妊しましょう!!)
日頃セックスをしているなら、常に妊娠の可能性を考えましょう。
そして、子供が欲しいと思っているなら、赤ちゃんの神経系の病気(二分脊椎など)を防ぐために葉酸のサプリメントを飲みましょう。(10.4mg)

第2条、         「この男の子供を産むためなら死んでもいい!」と思うような男の子供しか妊娠してはいけません。

妊娠出産は何が起こるかわかりません。妊娠高血圧症候群(妊娠中毒症)、妊娠糖尿病など、妊娠にまつわる病気になるかもしれません。また、お産も体にとっては大きな負担となります。
毎年、約60人の妊婦が出産で死亡しています。あなたが生きて出産を終える保証はどこにもありません。
妊娠をするにはそれなりの覚悟が必要ですよ!
(妊娠はよく考えて、覚悟を持って!、というたとえでシングルマザーなどの選択を否定するものではありません。)

第3条.妊娠しただけでは喜ばない。安易に他人に言わない。

妊娠が非常に初期に診断されるようになってから、妊娠初期の流産が15%以上と非常に多いことがわかりました。
最低でも妊娠4ヶ月に入るまでは手放しで喜んではいけません。職場で仕事を軽くしてもらいたいと上司にお願いするなど重要な時だけ人に言いましょう。
出来ることは赤ちゃんを信じてあげることだけ。
また、運悪く15%に入っても、あなたのせいじゃありません。不必要に自分を責めないでくださいね。

第4条.神様から授かったら、それがどんな赤ちゃんでも、あなたの赤ちゃんです。

この世に完全に正常な人間なんていません。重いものから軽いものまでいろんな障害を持って生まれてくる赤ちゃんもたくさんいます。
妊娠中に診断できる異常はごく一部。中には幼児になってからわかる異常もあります。
誰しも自分の赤ちゃんが正常だという保証のもと、出産することなんて出来ません。
親になるということは、どんな赤ちゃんが生まれても自分の子供として受け入れることです。

第5条.産む、産まないは自分たち夫婦で決めましょう。

とはいえ、妊娠中に赤ちゃんの異常や、もしかしたら異常があるかもしれないというサインがあると主治医に告げられるかもしれません。
それが中期(妊娠21週まで)であれば、望んだ妊娠であっても異常の程度によっては中絶という選択肢が出て来る場合もありますが、あくまでも夫婦二人でよく話し合って決めましょう。価値観や考え方は人それぞれ。大事なことは責任を持って自分たちで決めましょう。(大事なことを責任を持って決められる大人になってから妊娠しましょう。)
また、このことについては妊娠前から二人で話し合っておくべきです。

第6条.かかりつけ医をもちましょう。

当然ですが、ちゃんと妊婦健診を受けましょう。
きちんと初期に超音波で予定日を決めること、HIVB型肝炎、血液型、梅毒などの初期検査を受けることは、妊娠中に管理方針を決めるのに後々重要であったり、あなたの赤ちゃんを守ったりするために必要です。また妊娠高血圧症候群(妊娠中毒症)の早期発見には欠かせません。
もしあなたにお金がなくても、自治体が発行する母子手帳には最低限の妊婦健診を受けるためのチケットがついていますし、分娩費用も援助してくれる制度があります。
また、産科医不足からお産を出来る場所が限られています妊娠が分かったら、病院などに早めに問い合わせてお産をする場所を確保しましょう。里帰りしようなどと思っていても、受け入れてくれる場所がないかもしれません。



第7条.赤ちゃんは全ての運命をあなたに預けていることを忘れないで。

赤ちゃんは栄養や酸素など、生きて成長するために必要なものを全てあなたに依存しています。お母さんが煙草やお酒など赤ちゃんにとって毒となるものを摂取すると、胎盤を通して赤ちゃんに移行します。 
体型を気にして、妊娠中にダイエットをするなどはもってのほか。(妊娠前に標準的な体重だった人は912キロ体重を増やさなくてはいけません。)
煙草が我慢できないような人は、お母さんになる資格はありません。
また、「出産したら遊べなくなるから」と旅行をするのもいいですが、何かあっても後悔しない程度に。旅先で何かあってもすぐに診てくれるところがあるかは最低確認を。
おなかの赤ちゃんのために時には自己犠牲を払うことも覚悟の上妊娠しましょう。


第8条.赤ちゃんが完全に元気であるか分かる方法はありません。

胎児心拍のモニターや超音波など、赤ちゃんが元気であるか評価する検査はありますが、どれも完全ではありません。
予定日を目前にお腹の中で突然死をしてしまう赤ちゃんもいます。もし動きが少ないと思ったら病院へ。
無事に産まれるまでお母さんも赤ちゃんも安心できないのが妊娠なのです。毎年5000人以上の赤ちゃんがお産の間際や生まれてすぐに死亡しています。
また、脳性麻痺になる赤ちゃんがいますが、その90%は分娩前にすでに原因があり、分娩を機に脳性麻痺になる赤ちゃんはわずか10%であることも知っておきましょう。


第9条.出産は出来うる限り安全な場所でしましょう。

妊娠経過にどれだけ異常がなくとも、出産の時に赤ちゃんやお母さんが急変することは誰にでもありえます。
専門家が考える安全な場所とは、緊急時に、高次の医療機関(産科医と新生児医と麻酔医が揃っていて、帝王切開や未熟児医療ができる体制)か、そこへすぐ搬送できるくらいの近さの産院です。
部屋がきれいだから、ご飯がおいしいから、好きな姿勢で産めるから、上の子を立ち会わせたいから・・
そんな理由で緊急時の安全性が劣る産院を選ぶのはおすすめしません。
もちろん、納得の上でなら構いませんけれども。
お産をなめてはいけませんよ。
(残念ながら現在産科医不足のため、妊婦さん全員が安全性の高い病院を選ぶとパンクしてしまいます。だから、リスクの低い妊婦さんには高次の医療機関ではなく開業の産婦人科を選んでもらわないといけない場合も多いです。でも、最低でも産婦人科医立会いの下お産しましょう。)


10条.下から産んでも、お腹から産んでも、あなたはお母さん。

人によっては骨盤位(逆子)などの理由ではじめから帝王切開をしないといけない人もいます。また、陣痛が来て頑張っても、下から産まれなくて帝王切開をしないといけない人もいます。
どんな出産になっても、あなたが身を削って赤ちゃんを産んだことには変わりありません。
帝王切開で産むと子供の性格が悪くなるとか、親子の愛情が無くなるとかいう悪意に満ちた色々な妄説に惑わされないで。
あなたと赤ちゃんにとって一番安全な方法でお産をしましょう。


11条.妊娠・出産は一つとして同じものはありません。

妊娠・出産を経験すると、自分が何でも知ってる気になってしまう人がいます。年配のご婦人で「私のときはこうだったわよ」のように先輩面をする人もよくいますよね・・
でも、一つとして同じ妊娠・出産はありません。
同じ人が次にまた妊娠しても、同じようになるとは限りません。
自分の経験を別の人や別の妊娠にあてはめないようにしましょう。

この妊娠の心得は、決して完全なものではありません。人によって、そのとおりだと思う人もいるし、現代に合わないとおもう人もいるでしょう。

宋先生のブログにも、賛否両論のたくさんのコメントがつきました。中でも多かったのは、こんな風に脅かされたら、子供を産むのが怖くなるし、少子化が更に進むのではないかと心配する意見です。また、助けられなかったときのただのいいわけだと感じる人もいるでしょう。そういう議論を、私たちは、私たちの中で、もっとしていかなくてはいけないと思います。パートナーのいる人はパートナーと、家庭では家族と、学校の友達や地域の人たちと、それぞれの場所で、話し合っていきましょう。

産科医療の崩壊を伝える報道の量も世の中の注目も、残念ながら、一時よりは減ってしまったように思います。たしかに、世界的な金融危機など他にも大きな問題はたくさんありますし、人々も日々の暮らしを守っていくために精一杯で、関心が薄れてしまうのは仕方が無いのかもしれません。

しかし、こうしている今も、もしかしたら受け入れ先が見つからずに手遅れになってしまう人もいるかもしれません。大切な妻や娘を失った家族は、そのショックや悲しみから立ち直れないまま、生まれて間もない子どもを育てていかねればいけません。

宋先生が、妊娠の心得で私たちに、妊娠や出産のリスクや現実の理解を求めるとともに、医療者として努力を続けることを約束してくださるように、私たちも、受け入れ不能の起きないシステム作りや医療の向上を望むとともに、医療は完全ではない、リスクをゼロにすることはできないという現実を受け止め、理解しなければいけません。

リスクを理解するということは、とても難しいことです。たとえば、私が経験した常位胎盤早期剥離は、およそ1%の確率で起こるということは、本などにも載っていますし、知識として知っている人は多いと思います。でも、そんな低い確率のことは自分には起きないだろうと考えているのではないでしょうか。そして、その1%に入ってしまったときに、その現実を目の前にして初めて、1%でも0.1%でも、0でない限り、自分や自分の家族にも起こるんだと実感するのだとおもいます。

しかし、その1%や0.1%に入ってしまったとき、黙って我慢しなくてはいけない

ということではありません。

現在、医療行為を受け不幸な結果にいたった場合に、その原因を究明するための第三者機関を作る準備が、厚生労働省のなかで進んでいます。医療者側にも患者側にも納得のいく徹底した調査をし、その結果を活かして再発を防止していくシステムをつくるためには、いろいろな課題も多く、慎重な話し合いがされています。また、今年からは、重度の脳性マヒの子供を対象にして、医療者の過失の有無にかかわらず、3000万円が支払われる産科無過失補償もはじまりました。これは、分娩に際して重度の脳性まひになった子供に対しての制度であり、この制度にも、さまざまな問題があります。そのひとつが、妊婦が死亡した場合は対象からはずされていることです。この問題に対して、県立大野病院事件で被告医師を支援した「産科医療崩壊を食い止める会」では、加藤医師の無罪確定後すぐ、「妊産婦死亡された方の家族を支援するための募金活動」をはじめました。母親のいない家庭では、慣れない赤ちゃんのお世話も大変ですが、父子家庭は母子家庭よりもさらに公的支援が乏しく、経済的にも身体的にも非常に困窮しています。この募金活動は、金銭的な支援だけでなく、既存の福祉施設や制度との橋渡しや、遺族の悲しみを癒し支える「グリーフケア」なども取り入れることを目的としています。募金の方法としては銀行口座への振込みのほか、インターネットを使って、広告をクリックするだけで企業が自分にかわって募金してくれる「クリック募金」でも出来ます。

このように、訴訟という方法をとらなくても、患者も医療者も救われ、再発の防止もできるようにという取り組みがいくつかはじまっていますが、やはり大切なのは、私たちひとりひとりの意識の有り様ではないでしょうか。

どうか皆さん、この「妊娠の心得」をぜひお持ち帰りください。これから、子供を産み、育てていく若い人たちにも知って欲しいし、親として、次の世代にも伝えていただきたいのです。

また、医療関係者のみなさまにも、おねがいがあります。

不当な要求や困った振る舞いをする患者や家族も少なくないと思いますが、間違った知識や情報不足が原因になっていることも多いのではないかと思います。賢い妊婦はやがて賢い母親になり、いずれ頼もしい介護の担い手になるでしょう。これからの日本の医療を支え、医療資源を守り育てていくサポーター養成のため、お忙しい毎日とおもいますが、ご協力いただきますようよろしくおねがいします。

本日お配りした「妊娠の心得」は、ロハス・メディカルのホームページより、無料でDLすることもできますので、どうぞご活用ください。

長くなりましたが、最後に私の好きな祈りの言葉をご紹介して終わりたいと思います。

神様私にお与え下さい。 
 自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを、 
 変えられるものは変えていく勇気を、 
 そして二つのものを見分ける賢さを (ニーバーの祈り)

ご静聴ありがとうございました。

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