すずかん文部科学省副大臣さま

なんだかんだといいながらも、新政権はじまりました。
オールスター内閣ですか。
たしかに、いままでの派閥の数あわせ第一で、だれがどこでもいいような人事ではない気もします。
ロハス・メディカル読者におなじみの鈴木寛議員が、文部科学省副大臣に就任し
http://lohasmedical.jp/blog/2009/09/post_2042.php
という記事がでてたりします

さて、鈴寛と教育というと、思い出したのが、こちら↓

http://tsyosh.cocolog-nifty.com/blog/cat20728012/index.html

「教育から変えていかなきゃダメです。
 中学校で医療の現状や今後を考えさせるプログラムを。
 小学生には難しい、高校生にはストレートに伝わらない。
 中学でそういう教育するのがいい。必要なんですよ。」
 
すずかんを拉致してスイッチオン。持論を熱く展開するK氏w
また素晴らしいと思ったのは、このゲリラ的な急襲をかわさず
呼応して、がっぷり受けて立つすずかんさんでした。
 
「うんうん、先生のおっしゃるとおりです。
 私も医療に限らず教育は本当に大事と思っている。
 教育の再興、コミュニティスクール…構想を進めてますよ。」
 
私も加わり、しばらく路上ゲリラ討論は続きました。
ふむ、なかなか熱い人です、すずかんさん。

なんか期待しちゃうなあ
不安な人も多いでしょうが。

もう一個、すずかんさんについて、ちょと前にでた記事とそのコメント欄
「臨床医は新人議員にメールを送って」―民主党・鈴木寛参院議員 コメント欄|ロハス・メディカル ブログ
http://lohasmedical.jp/blog/2009/09/post_2004.php

国会議員なら自分から現場へいけ、忙しい臨床医にメールよこせとは何事か!いままで散々パブリックコメントおくってんだよ、厚労省がもってんだろ!それ嫁!!
議員の教育は、党の仕事だろ、ごるあ!!

というご意見には、もっともだとおもうところもあるものの、なんか違和感がぬぐえません。

それって
「医者なら患者が何もいわなくても分かって当然」とか「だから研修医には診られたくない」というのと似てませんか?
わかってていっているかな
つまり、意趣返し?

そういえば、「ギブ&テイク」っていうエントリーもありましたね?
http://tsyosh.cocolog-nifty.com/blog/cat20193534/index.html

このなかで紹介されている「ある非医療者」の言葉はすばらしいですね。

「最新の医療をベテランの医師のもとで、見世物にならずにうけたい。
 医師不足の現状を知っていても、新人の養成に協力したくない。
 そういう思いは、たしかにあってもしかたないのかもしれません。
 
 あのトピをみて「ちいさな白いにわとり」の話を思い出していましたが、
 「ギブなしのテイク」まさにそうですね。
 見学などへの協力ということもですが
 嫌なことは嫌だと意志を伝える努力も「ギブ」だとおもいました。
 なにも意思表示しないでは
 良い人間関係は築けないものだと私もおもいます。」

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地域医療再生の処方箋

少し前のことですが
先日のETV特集「地域医療再生の処方箋」
http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html
録画しておいたものを、ゆっくり観ました。
今回は、スタジオでの5人の対談が中心で、演出としては面白くはなかったかもしれないが、じっくり聞くと、なるほどと思うお話ばかりでした。
結論としては、
「病院以外の場所で医療を語る場を持とう」ってとこなんですが
「それが出来る余裕があれば、最初から…」という反論が帰ってきそうですね。
でも、出来ているところは、それこそが第一選択薬だと考えて“処方箋”を書いているんですよね。

25年前から、医療スタッフと市役所の職員と民間の福祉関係者が、ひとつのチームになって2週間ごとに在宅ケアをしている遠野
「ナイトスクール」で、町民に対して情報発信と議論の場所を提供している藤沢
地方議員向けの勉強会を開いている富良野
市民を巻き込んで若い医師の育成に取り組む東金

とくに「目的にかなった方法を選択していくべき」という佐藤先生のご意見には、つるっとまるっと激しく同意なのでした
地方議員の不勉強も無理解も大問題だけど、選挙に落ちたらただの人になってしまう議員と、免許があれば、どこででもやっていける自分たちとの立場の違いにも目を向けなければいけない、市民に対して情報を発信し、市民の理解がすすめば、おのずと議員も変わってきます、と。
これとは別のことだけど、氏のブログ
http://motomix1955.at.webry.info/
でかいてらした
「「森は海の恋人」を合い言葉に,室根山に広葉樹を植林して,豊かな漁場を守ろうという取り組みがされている。
そのぐらいの気の長さが医療や介護に失われている。」という言葉にもつながることだとおもいます。

そんな悠長な…ってとこでしょうが、急がば回れ、貧すれば貪すともいうじゃないですか

医療者も役人も議員も市民も、お互いの立場を思いやれれば、それが結局自分のためなんだと気づけば、まだ「再生」に間に合うはずです。
番組の中でも、言われていましたが、医療だけの問題ではなく、地方の崩壊が進んでいて、そのなかで、一番脆弱な「医療」から崩れてしまったということであり、ここを捨てておくと地方全体が崩壊してしまうでしょう。
それは「日本全体」と考えても、同じことではないでしょうか。
自分は病気なんかしないし病院がなくなっても関係ない、とか
医療が崩壊したら困るのは患者だけで、自分たちは関係ないとかという問題ではなく、「国」レベルの崩壊が進んでいる中で、一番弱い「医療」や「福祉」からほころびはじめているだけだと考えるできなんではないでしょうか。

ぜひ、再放送していただきたいです。

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ホワイトバブル?~医療問題ブームの今後~

先日、府医「今の医療こんなんで委員会」に参加させていただきました。

今回は、医療同様、崩壊寸前の「介護問題」について。

「高齢者医療」については、

「もっと知る努力を」http://genjibosi.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_6164.htmlでも、友人の日記を紹介させていただきましたが、私自身はまだ、介護は未体験です。

介護問題の専門家を迎えて、現場の切実な声を聞かせていただき、とても勉強になりました。

クレーマーやモンスター○○と言われる存在は、医療でも介護でも、そのほかどの業界にでもいるものですが、人数そのものは、とても少ないのです。

「給食費未払い」の問題で言われていたのが、1%ですが、この1%という数字は、昔から変わっていないようです。で、なにが問題かというと、本来は普通の人なのに、そのモンスターに影響されて後天的にモンスター化しちゃう人たちです。

その「本来は普通の人」が巻き込まれて、クレーマーになってしまったり、たった一人でも、要注意人物が施設の中にいるだけで、職員の手も神経も多くがそちらにさかれ、他の入所者が後回しになってしまったり、職員の心身の疲弊が激しく退職者も多い、残されたものの負担が更に増す、という医療崩壊と同じ現象がおきているのです。

おどろきは、「介護保険」は、掛け金をかえているのだから、死ぬ前に使わなければ損!と考えて、本来は家庭で介護可能な人も、入所させる家族や希望する人が多いということです。審査は必要ですが、実際は、家族の経済力やマンパワーなどは関係なく、本人の能力のみでの判定になっていたり、とりあえず申請しとけっていう申請が多いと、そのために多くの人が動かなければならず、それだけで費用も人手も食われてしまうということが理解されていないのです。

介護保険というのは、健康保険と同じく社会保障制度であり、「助け合い」の制度であって、「積み立てておいて、どかっと使う」という性質のものではありません。

利用者は権利を行使するのではなく、医療も介護も福祉も、限りのある「資源」であると考えて、有効に活用しながら保護していかなければいけないのです。

「資源」の有効活用と保護というと、近年の「環境問題」の取り組みにヒントがるのではないでしょうか。

いま環境業界では、オバマ大統領のグリーンニューディール政策に代表される、「環境問題と経済活性と雇用問題を一気に解決しちゃおう!」という動きが活発です。

地球温暖化やオゾン層の破壊や資源の枯渇や、そういう環境問題についてのアピールは、昔からされていましたよね。

「ああ、たいへんなことになるんやなー人類ほろんじゃうんかな~」とおもいつつ、でも自分や子供の代でどうとかっていう話ではないやんなーと思っていたら、実はもっと逼迫した問題だったということも、最近知られるようになりました。
それって、ずっと訴えてきた人たちの力であり、メディアの力でもあります。
そのおかげで、一般の私たちにも
「まあ、環境破壊で地球滅亡って感じィ~?」
っていう感じを持つ人が増えてきて、土台として出来てきたわけです。

環境資源の浪費のもとに利益をあげて来た企業も、便利な使い捨てから、「エコ」をうたった商品を開発したり、古い製品を下取りしたりという環境対策をしはじめました。たとえば、太陽光発電で作った電力を電力会社が、通常の倍の料金で買取り、その電力を供給しようというのがひとつです。

そして、国も環境対策を勧める企業には、補助しようじゃないの?っていう動きがでてきました。言い方をかえれば、環境問題に取り組んでるから偉い!ってことを口実に、企業へ税金を投入ってことになるわけですが、そのおかげで、いまは長年、大企業の反発の元にかなわなかった環境対策が、実現しやすくなっています。

環境問題に取り組んできた運動家たちの間では、「グリーンバブル」と呼ばれている状況なのです。

しかし、一方でエコを口実にした企業献金だという批判もあります。
また、電力会社の電力買取のために、電力を使用するほうが支払う電気料金を値上げされますが、これにも批判があるわけです。
いまの不景気な時代、高価な太陽光発電をつけられるような金持ちのために、ライフラインである電気料金を値上げするとは何事か!ってことですね。

しかし、不景気で雇用不安の強いいまだからこそのチャンスでもあります。
限り在る環境資源を守ることと、雇用不安の解消を一度に解決しよう、そのために国が税金を投入することと、国民も協力する必要があるということを理解しなければいけないんです。

なぜ、「バブル」なのかっていうと、そのうちはじけて終わるっていうことなんでしょうね。そして歴史を振りかえると、こういうことは何十年かごとに繰り返してきて、そのたびに改善されてきたこともあるそうです。なので、環境家の人たちは、この千載一遇のチャンスを最大限に利用し、バブルがはじけた後も逆戻りしないように、この間に、ブームが終わったら忘れられてしまうようなものでなく、きちんとした制度や法律という「かたち」に残そうと活動しているそうです。

で、これって「環境資源」を「医療資源」に置き換えると、まさに今って「医療崩壊バブル」っていえると思いませんか?

医療や社会福祉での問題は、最近起こり始めたことではなく、ずっと昔からあったことですが、最近になってやっと報道されはじめ、私たち一般人にも知られるようになりました。私たちにとっては、寝耳に水の「医療崩壊・介護崩壊」ですが、その現場を支えてきた人は、心身ともに限界です。いま、注目を集めている「いま」だからこそ、思い切った取り組みが必要ですし、いまがチャンスなのです。

環境問題が「グリーンバブル」なら、医療問題は「ホワイトバブル」とでもいいましょうか。医療も介護も福祉も、日本では、ひとまとめにざっくり予算を削られてきたのですから、ここでは全部ふくめて、「医療・社会福祉バブル」ということでもあるかとおもいます。

グリーンバブルの崩壊は「先のことを考え続ける」ことがだんだんしんどくなって、別の(多くの場合目の前の)ことに関心を移す人がある程度増えてくると、「関心が薄れたのは問題が片付いたからだ」と考える人が急速に増えてきて一気に別のテーマに関心がうつるというメカニズムで生じるようです。

70年代初頭の公害への関心は石油危機に、90年代初頭の地球環境ブームはバブル崩壊に関心がシフトすることで沈静化していきました。

〈医療問題バブル〉も似たような経過をたどる可能性がありますので、崩壊のプロセスを知っておくと参考になるかと思います。

そうして考えると、私たちが目指すものや出来ること、しなくちゃいけないことが、わかってくる気がするのですが、どうでしょうか。

そうはいいつつ、私たちが「法律」や「制度」を作るというのは、ちょっと無理っぽいですよねえ

大切な「第一歩」は、まず知ること。

現場の声をきくこと。残る力はすくなく、掻き消えてしまうかもしれないけれども、切実な声に共感を持って聞き、自分たちの問題だと考えることです。

病気や怪我は、しない人はずっとしませんが、老いは必ずやってきます。あなたの両親、あなた自身、だれもが皆老いていくのです。

「こんなんで委員会」では、「妊娠の心得11か条」のように、介護を受ける側、介護する側それぞれの「心得」を作ろうと、それぞれがまず案を持ち寄ることになりました。私は、まだ介護の経験がないので、切実なところがわかりません。皆さんも一緒に考えていただけないでしょうか。ご意見おまちしております。

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シンポジウム原稿

先日、初めてのシンポジストを経験させていただきました。

私がお話させていただいた原稿です。

はじめまして。私は、府内に住む二児の母親です。

今日は、昨年ネット上で話題になった「妊娠の心得11か条」を紹介させていただくために、お時間をいただきました。

はじめに、今日、「妊娠の心得」の紹介をしようと思った理由をお話ししようとおもいます。

私は9年前、長女を出産したとき、テレビや新聞で「たらいまわし」と言われている経験をしました。自宅で突然に大量の出血をし、一旦入院した個人病院から設備の整った大きな病院に搬送されることになったのですが、受け入れ先の病院がなかなかみつかりませんでした。先生が何軒も電話をして探してくださり、やっと

京都市

内の大学病院に搬送され、緊急帝王切開で長女が生まれたのは、家で出血してから4時間近くがたっていました。

「常位胎盤早期剥離」という順調に経過している妊娠中に、突然、赤ちゃんが生まれるより先に胎盤がはがれるとても危険な病気でした。大学病院での10日間の入院を経て、母子ともに無事に退院することができましたが、この経験から私は、産科医療に関心を持つようになり、それから一年後に、自宅にインターネット環境が整うと、医療関連のサイトや掲示板に参加するようになりました。

ネット上では、自分と同じようなハイリスクの妊娠や出産を経験したり、出産や妊娠に対して高い関心のある人たちが、理想の出産について意見を交換したり、産科医をはじめとする医療に従事している人たちが、産科の医療現場で何が起こっているのかを伝えようとしていました。私が経験した「たらい回し」といわれている救急患者の受け入れ不能や、医師不足による連続30時間以上の過酷な勤務や、医療訴訟の増加による現場の萎縮など、現在言われている問題のほとんどがすでに存在していました。

私も、自分が経験したことについて調べたり質問したりしていたのですが、医療者側からは、常位胎盤早期剥離は予測不能で、貴方や子供が無事に助かったのは、かかりつけの医師の手当てや判断が正しかったことと、受け入れてくれた病院のおかげなのだから感謝するべきだ、そんなことを今になって調べているのは、裁判でも起こすつもりなのかと責められ、その言葉には強いショックをうけました。

当時、1歳だった長女に発達の遅れが見つかり、悩んでいたのは事実です。

障害をもつ子供を育てることは心身ともにつらく、うつ病にもなりましたが、だからといって誰かに責任をかぶせようと思ったことはありません。

長女を出産した日、救急車から運び込まれた手術室で、むかえてくださった先生方やスタッフのみなさんの姿を何度も思い出し、たくさんの人のお世話になってやっと助かったのだからがんばろうと思い直して乗り越えてきました。

一方で、出血した日の昼間に受けた検査で、子宮の収縮の波形が、特徴的なものであったのではないかということや、自宅で出血してすぐに、かかりつけへ電話したときの「妊娠後期の出血はよくあることで心配ないから、来院する必要はない」という対応は正しかったのか、緊急の搬送が必要になったときに、搬送先が見つからないというのは、問題ではないかという疑問もありました。それを「訴えたいのか」と責められ、ただ自分の身に起こったことが何だったのかを知りたい、もしも改善されるべき点があるなら改善して他の人のためにいかしてほしい、と考えることは間違っているのかと悲しい気持ちになりました。

しかし、その気持ちは、医療の現実や実情を知るうちに、変わっていきました。「訴える」という言葉で深く傷ついていたのは、私たち患者側だけでなく、医療者も同じだとわかったからです。

医療事故について民事で争う医療訴訟は、医療事故にあった患者や家族の立場で見れば、真実を知りたい、問題点は明らかにして改善していってほしいという願いをたくせる唯一の方法です。しかし、事故について何も解明されていないうちに、偏った報道によって被告である医師や病院側を「悪もの」であるようなイメージが定着されてしまうことは、被告側の名誉を傷つけるだけでなく、国民に医療不信を植え付けてしまう危険があります。また、原告であるご本人やご遺族への悪辣なバッシングも許されることではありませんが、争う立場になれば避けることは困難です。そして、それだけの犠牲を払っても、裁判で真実は明らかにすることもかなわず、患者側も医療者側も互いに疲弊し、さらに傷も溝も深めてしまっているのが現実なのです。

本来、私たちが戦う相手は、病気や傷であり、医療者と患者は一緒に戦うパートナーであるはずです。私たちがしなくてはいけないことは、対決でも対立でもなく、対話であり、相手の話に共感を持って耳を傾けることなのだと考えるようになりました。医療者の中にも同じ考えをもち、対立の構造を抜け出そうと呼びかける人が増え、私もネットを通じて多くの人たちと出会うことができました。

その一人が、今日ご紹介する「妊娠の心得」を作られた宋美玄先生です。

宋先生は現役の産婦人科医です。以前からご自身のブログで、出産で赤ちゃんやお母さんが亡くなったり、重い後遺症が残ると自分たち医師もとても悲しいし、本当にどうしても救えなかったのか、他に方法は無かったのかを何度も議論したり、シュミレーションを繰り返して検証しているが、それでも赤ちゃんや妊婦の死亡はゼロにはできならない。出産は、現在でも危険を伴うもので、100%の安全は保証できないのに、不幸な結果になると、裁判になったり、警察によって医療者が逮捕されることで、医師不足が加速し、受け入れ不能の病院をさらに増やすことになっている現実を多くの人に知って欲しい、という思いを書き綴っておられました。そして、未受診の飛び込み分娩や脳出血を起こした妊婦の受け入れ拒否のニュースをうけて、出産のリスクや、妊娠中には、赤ちゃんの安全と健康第一に考えて欲しいという願いを伝えるためにこの「妊娠の心得」を作られたのです。

ただ医療者側が一方的に、理解を求めるだけでは信頼関係を取り戻すことは出来ない、

医療者側も知識や技術をさらに高める努力を約束することを忘れてはいけないし、この心得についても、いろんな年齢層や立場の人たちとひろく意見を出し合って、もっとよいものにしていきたいとおっしゃっています。

では、前置きが長くなってしまいましたが、「妊娠の心得11か条」を読み上げさせていただきます。お手元に資料があるかとおもいます。詳しい説明はそちらをお読みください。

妊娠の心得

第1条、         ックスをしたら妊娠します。

この世に100パーセント避妊する方法は、セックスをしない以外にありません。(ピルですら100%ではありません。でも、もちろん避妊することは望まぬ妊娠を大幅に減らすことが出来るので、妊娠したくない人は必ず避妊しましょう!!)
日頃セックスをしているなら、常に妊娠の可能性を考えましょう。
そして、子供が欲しいと思っているなら、赤ちゃんの神経系の病気(二分脊椎など)を防ぐために葉酸のサプリメントを飲みましょう。(10.4mg)

第2条、         「この男の子供を産むためなら死んでもいい!」と思うような男の子供しか妊娠してはいけません。

妊娠出産は何が起こるかわかりません。妊娠高血圧症候群(妊娠中毒症)、妊娠糖尿病など、妊娠にまつわる病気になるかもしれません。また、お産も体にとっては大きな負担となります。
毎年、約60人の妊婦が出産で死亡しています。あなたが生きて出産を終える保証はどこにもありません。
妊娠をするにはそれなりの覚悟が必要ですよ!
(妊娠はよく考えて、覚悟を持って!、というたとえでシングルマザーなどの選択を否定するものではありません。)

第3条.妊娠しただけでは喜ばない。安易に他人に言わない。

妊娠が非常に初期に診断されるようになってから、妊娠初期の流産が15%以上と非常に多いことがわかりました。
最低でも妊娠4ヶ月に入るまでは手放しで喜んではいけません。職場で仕事を軽くしてもらいたいと上司にお願いするなど重要な時だけ人に言いましょう。
出来ることは赤ちゃんを信じてあげることだけ。
また、運悪く15%に入っても、あなたのせいじゃありません。不必要に自分を責めないでくださいね。

第4条.神様から授かったら、それがどんな赤ちゃんでも、あなたの赤ちゃんです。

この世に完全に正常な人間なんていません。重いものから軽いものまでいろんな障害を持って生まれてくる赤ちゃんもたくさんいます。
妊娠中に診断できる異常はごく一部。中には幼児になってからわかる異常もあります。
誰しも自分の赤ちゃんが正常だという保証のもと、出産することなんて出来ません。
親になるということは、どんな赤ちゃんが生まれても自分の子供として受け入れることです。

第5条.産む、産まないは自分たち夫婦で決めましょう。

とはいえ、妊娠中に赤ちゃんの異常や、もしかしたら異常があるかもしれないというサインがあると主治医に告げられるかもしれません。
それが中期(妊娠21週まで)であれば、望んだ妊娠であっても異常の程度によっては中絶という選択肢が出て来る場合もありますが、あくまでも夫婦二人でよく話し合って決めましょう。価値観や考え方は人それぞれ。大事なことは責任を持って自分たちで決めましょう。(大事なことを責任を持って決められる大人になってから妊娠しましょう。)
また、このことについては妊娠前から二人で話し合っておくべきです。

第6条.かかりつけ医をもちましょう。

当然ですが、ちゃんと妊婦健診を受けましょう。
きちんと初期に超音波で予定日を決めること、HIVB型肝炎、血液型、梅毒などの初期検査を受けることは、妊娠中に管理方針を決めるのに後々重要であったり、あなたの赤ちゃんを守ったりするために必要です。また妊娠高血圧症候群(妊娠中毒症)の早期発見には欠かせません。
もしあなたにお金がなくても、自治体が発行する母子手帳には最低限の妊婦健診を受けるためのチケットがついていますし、分娩費用も援助してくれる制度があります。
また、産科医不足からお産を出来る場所が限られています妊娠が分かったら、病院などに早めに問い合わせてお産をする場所を確保しましょう。里帰りしようなどと思っていても、受け入れてくれる場所がないかもしれません。



第7条.赤ちゃんは全ての運命をあなたに預けていることを忘れないで。

赤ちゃんは栄養や酸素など、生きて成長するために必要なものを全てあなたに依存しています。お母さんが煙草やお酒など赤ちゃんにとって毒となるものを摂取すると、胎盤を通して赤ちゃんに移行します。 
体型を気にして、妊娠中にダイエットをするなどはもってのほか。(妊娠前に標準的な体重だった人は912キロ体重を増やさなくてはいけません。)
煙草が我慢できないような人は、お母さんになる資格はありません。
また、「出産したら遊べなくなるから」と旅行をするのもいいですが、何かあっても後悔しない程度に。旅先で何かあってもすぐに診てくれるところがあるかは最低確認を。
おなかの赤ちゃんのために時には自己犠牲を払うことも覚悟の上妊娠しましょう。


第8条.赤ちゃんが完全に元気であるか分かる方法はありません。

胎児心拍のモニターや超音波など、赤ちゃんが元気であるか評価する検査はありますが、どれも完全ではありません。
予定日を目前にお腹の中で突然死をしてしまう赤ちゃんもいます。もし動きが少ないと思ったら病院へ。
無事に産まれるまでお母さんも赤ちゃんも安心できないのが妊娠なのです。毎年5000人以上の赤ちゃんがお産の間際や生まれてすぐに死亡しています。
また、脳性麻痺になる赤ちゃんがいますが、その90%は分娩前にすでに原因があり、分娩を機に脳性麻痺になる赤ちゃんはわずか10%であることも知っておきましょう。


第9条.出産は出来うる限り安全な場所でしましょう。

妊娠経過にどれだけ異常がなくとも、出産の時に赤ちゃんやお母さんが急変することは誰にでもありえます。
専門家が考える安全な場所とは、緊急時に、高次の医療機関(産科医と新生児医と麻酔医が揃っていて、帝王切開や未熟児医療ができる体制)か、そこへすぐ搬送できるくらいの近さの産院です。
部屋がきれいだから、ご飯がおいしいから、好きな姿勢で産めるから、上の子を立ち会わせたいから・・
そんな理由で緊急時の安全性が劣る産院を選ぶのはおすすめしません。
もちろん、納得の上でなら構いませんけれども。
お産をなめてはいけませんよ。
(残念ながら現在産科医不足のため、妊婦さん全員が安全性の高い病院を選ぶとパンクしてしまいます。だから、リスクの低い妊婦さんには高次の医療機関ではなく開業の産婦人科を選んでもらわないといけない場合も多いです。でも、最低でも産婦人科医立会いの下お産しましょう。)


10条.下から産んでも、お腹から産んでも、あなたはお母さん。

人によっては骨盤位(逆子)などの理由ではじめから帝王切開をしないといけない人もいます。また、陣痛が来て頑張っても、下から産まれなくて帝王切開をしないといけない人もいます。
どんな出産になっても、あなたが身を削って赤ちゃんを産んだことには変わりありません。
帝王切開で産むと子供の性格が悪くなるとか、親子の愛情が無くなるとかいう悪意に満ちた色々な妄説に惑わされないで。
あなたと赤ちゃんにとって一番安全な方法でお産をしましょう。


11条.妊娠・出産は一つとして同じものはありません。

妊娠・出産を経験すると、自分が何でも知ってる気になってしまう人がいます。年配のご婦人で「私のときはこうだったわよ」のように先輩面をする人もよくいますよね・・
でも、一つとして同じ妊娠・出産はありません。
同じ人が次にまた妊娠しても、同じようになるとは限りません。
自分の経験を別の人や別の妊娠にあてはめないようにしましょう。

この妊娠の心得は、決して完全なものではありません。人によって、そのとおりだと思う人もいるし、現代に合わないとおもう人もいるでしょう。

宋先生のブログにも、賛否両論のたくさんのコメントがつきました。中でも多かったのは、こんな風に脅かされたら、子供を産むのが怖くなるし、少子化が更に進むのではないかと心配する意見です。また、助けられなかったときのただのいいわけだと感じる人もいるでしょう。そういう議論を、私たちは、私たちの中で、もっとしていかなくてはいけないと思います。パートナーのいる人はパートナーと、家庭では家族と、学校の友達や地域の人たちと、それぞれの場所で、話し合っていきましょう。

産科医療の崩壊を伝える報道の量も世の中の注目も、残念ながら、一時よりは減ってしまったように思います。たしかに、世界的な金融危機など他にも大きな問題はたくさんありますし、人々も日々の暮らしを守っていくために精一杯で、関心が薄れてしまうのは仕方が無いのかもしれません。

しかし、こうしている今も、もしかしたら受け入れ先が見つからずに手遅れになってしまう人もいるかもしれません。大切な妻や娘を失った家族は、そのショックや悲しみから立ち直れないまま、生まれて間もない子どもを育てていかねればいけません。

宋先生が、妊娠の心得で私たちに、妊娠や出産のリスクや現実の理解を求めるとともに、医療者として努力を続けることを約束してくださるように、私たちも、受け入れ不能の起きないシステム作りや医療の向上を望むとともに、医療は完全ではない、リスクをゼロにすることはできないという現実を受け止め、理解しなければいけません。

リスクを理解するということは、とても難しいことです。たとえば、私が経験した常位胎盤早期剥離は、およそ1%の確率で起こるということは、本などにも載っていますし、知識として知っている人は多いと思います。でも、そんな低い確率のことは自分には起きないだろうと考えているのではないでしょうか。そして、その1%に入ってしまったときに、その現実を目の前にして初めて、1%でも0.1%でも、0でない限り、自分や自分の家族にも起こるんだと実感するのだとおもいます。

しかし、その1%や0.1%に入ってしまったとき、黙って我慢しなくてはいけない

ということではありません。

現在、医療行為を受け不幸な結果にいたった場合に、その原因を究明するための第三者機関を作る準備が、厚生労働省のなかで進んでいます。医療者側にも患者側にも納得のいく徹底した調査をし、その結果を活かして再発を防止していくシステムをつくるためには、いろいろな課題も多く、慎重な話し合いがされています。また、今年からは、重度の脳性マヒの子供を対象にして、医療者の過失の有無にかかわらず、3000万円が支払われる産科無過失補償もはじまりました。これは、分娩に際して重度の脳性まひになった子供に対しての制度であり、この制度にも、さまざまな問題があります。そのひとつが、妊婦が死亡した場合は対象からはずされていることです。この問題に対して、県立大野病院事件で被告医師を支援した「産科医療崩壊を食い止める会」では、加藤医師の無罪確定後すぐ、「妊産婦死亡された方の家族を支援するための募金活動」をはじめました。母親のいない家庭では、慣れない赤ちゃんのお世話も大変ですが、父子家庭は母子家庭よりもさらに公的支援が乏しく、経済的にも身体的にも非常に困窮しています。この募金活動は、金銭的な支援だけでなく、既存の福祉施設や制度との橋渡しや、遺族の悲しみを癒し支える「グリーフケア」なども取り入れることを目的としています。募金の方法としては銀行口座への振込みのほか、インターネットを使って、広告をクリックするだけで企業が自分にかわって募金してくれる「クリック募金」でも出来ます。

このように、訴訟という方法をとらなくても、患者も医療者も救われ、再発の防止もできるようにという取り組みがいくつかはじまっていますが、やはり大切なのは、私たちひとりひとりの意識の有り様ではないでしょうか。

どうか皆さん、この「妊娠の心得」をぜひお持ち帰りください。これから、子供を産み、育てていく若い人たちにも知って欲しいし、親として、次の世代にも伝えていただきたいのです。

また、医療関係者のみなさまにも、おねがいがあります。

不当な要求や困った振る舞いをする患者や家族も少なくないと思いますが、間違った知識や情報不足が原因になっていることも多いのではないかと思います。賢い妊婦はやがて賢い母親になり、いずれ頼もしい介護の担い手になるでしょう。これからの日本の医療を支え、医療資源を守り育てていくサポーター養成のため、お忙しい毎日とおもいますが、ご協力いただきますようよろしくおねがいします。

本日お配りした「妊娠の心得」は、ロハス・メディカルのホームページより、無料でDLすることもできますので、どうぞご活用ください。

長くなりましたが、最後に私の好きな祈りの言葉をご紹介して終わりたいと思います。

神様私にお与え下さい。 
 自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを、 
 変えられるものは変えていく勇気を、 
 そして二つのものを見分ける賢さを (ニーバーの祈り)

ご静聴ありがとうございました。

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妊娠の心得11か条

むちゃくちゃ久しぶりの更新です(^-^;

近頃話題の「妊娠の心得11か条」を紹介するサイトを開設しました

「妊娠の心得11か条~当たり前だけど大切なこと~」

http://iryousaporter.okoshi-yasu.net/

娘のお産のときに、緊急母体搬送を経験した私ですから、いまでは、どれも納得!!の11か条ですが、それ以前の私ならおそらく「こんなこと言って脅したら、子供つくる気なくなるやん!」って言ってたと思います

でも、自分が経験してみて、全く問題なく優等生の妊婦だったのに、本当に何がおこるかわからないということを身を持って経験したし、自分がもし死んでいたり、子供を亡くしていたらどうしていただろうとおもう気持ちもあり、この11か条は、男性も女性も、これから子供を持つ人にも、すでに出産経験のあるひとにも、そのほかのひとにも知って欲しいと強くおもいました。

で、ブログだと、どんどん記事がながれてしまうので、ホームページを作ろうと思い、じゃあ絵がいるなあとぼんやり考えていたら、ちょうど登校拒否ではなく「不能」の娘が家で暇をもてあましているじゃないですか

そこで、LUPO先生の書かれたお話に、お母さんと一緒に絵をかいてあげへん?と娘に言ってみたら

「描くヽ(*≧ε≦*)φ!!」とおおはりきり!

じつは、近頃登校渋りで、学校に半分しかいけず、また休みがちで児童精神科にて投薬治療を受けているのですが、絵を描くのは大好きなので、よろこんで描いてくれました

私も、こんなときでないと、娘と一緒に絵を描こうなんて気分にもなりませんから、私もとっても楽しめましたart

娘が、生まれたとき

たくさんの人が私と娘を助けるために、力を貸してくださいました

そのあとも、障害がわかってからもまた、たくさんの人が助けてくださいました

その人たちの力がなかったら、私たちは今居なかったとおもいます

娘の障害、将来のこと、いま現在のこと

悩みも、不安も、頭にくることもあります。たーーくさん、あります。

でも、

足りないものはひとつもありません。

大切なものは、全部持っています。

私たちは、本当に恵まれて、幸せですが、小さなわが子を置いて死ななくてはならなかったお母さんの気持ち、新生児を抱えて生活に追われなければならないお父さんや家族のご苦労は、いかばかりかとおもいます

そんな周産期死亡された妊産婦さんのご家族を支援するための募金活動を「周産期医療の崩壊を食い止める会」でされています

官に頼らずとも「公」は創れる!! あなたのクリックが創る 民の志プロジェクト、始動。

http://lohasmedical.jp/fund/#fondCooperate

募金活動の是非についても、さまざまな議論がされていますが、募金に賛成でなくても、周産期医療の崩壊を止めるため、違う方法でも何かを実行することが大切だとおもいます

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ひとりにしたくない

娘の登校への付き添いを続けています。
娘は、ときどき、学校にいくのがいやーになるのですが、私が付き添うことで頑張ろうという気持ちを維持しているようにおもいます。

朝、登校班につきそってると、娘だけじゃなく、他の子にも眼が行きます。知っている子をみると、「おはよう」と声をかけます。低学年の子はくったくなく笑顔をかえしてくれますが、高学年になるとちょっと恥ずかしそうです。

登校班の最後尾をついてあるいていると、知らない子が一人で、歩道からはみ出て、車道をとぼとぼと歩いていました。
「危ないよっ」と、歩道に引き上げました。
女の子です。たずねてみたら、一年生でした。
近頃ことですので、子供(それも一年生)の一人での登校は禁止されています。登校班に置いていかれたら、兄弟か親が付き添うことになっています。
オーバーオールの中に両手をつっこんで、うつむき加減にとぼとぼ歩いている、話しかけても、ほとんどしゃべらない子で、心配なので学校まで付き添うことにしました。
その子の様子に、ちょっと思うことがありました。
校門までおくると、たまたま、その子の担任の先生がいました。
「Tちゃん!」名前を聞いて、近所に、かなり難しい子で、おかあさんにも放置され気味の子がいると聞いていたのを思い出しました。
先生に、一人で歩いていたことを伝えると、そうですかと引き受けてくださいました。

別の日

今度は、M君が一人で歩いていました。このコは、コミュニケーションが苦手で、みんなと同じ行動が出来ず、登校班や学校で孤立しています。この日も登校班において行かれた模様。
M君も一年生です。足を引きずってゆっくり歩いています。
「Mくん、どうしたの?」ときくと、学童で上級生に殴られて、段差のある座敷のスペースから落とされて、足を捻挫したと教えてくれました。お母さんに言っても、真剣にきいてくれないとも言っていました。
「一緒にいこうか」といったけれど、歩くのがゆっくりすぎて、娘の登校班と離れてしまうので、一旦、娘を学校まで送ってから、引き返して迎えに行きました。
すると、さっきよりもっと、足をひきずって
「いままた蹴られた、痛い~」といって半べそをかいています。
「一緒に行こう、校門で校長先生にいうてあげるから」
校門まで行くと、校長先生がいらっしゃったので、お預けして帰りました。

おせっかいな、うっとうしいおばちゃんとおもわれるかもしれないけど、あなたたちも、あなたたちのお母さんも、孤立させてはいけないと思います。
なにかいえるわけでも、なにか出来るわけでもないけど、
ひとりにはしたくない・・・

自閉症の子を抱えたお母さんが、自閉症の子とその兄を殺したという事件がありました。その痛み、苦しみ、悲しみ、共有できる人はいただろうに、でも救うことは出来なかった…。この子たちが、自閉症だとかいうのではないのですが、育てにくさをお母さんも感じていて、悩んでいるのではないかなと感じました。

同じ悩みを持って、私の日記を読みに来てくれる人に、私は何もえらそうなことは言えないけど、果てしない終りないようにみえることでも、まったく変わらないということはありません。
「つらい」と「たすけて」と声を上げてほしい
その声を聞いた人は、耳を貸してあげて欲しい

もし、誰も話も聞いてくれないというのなら、私にあなたの声を聞かせてほしい
肩を抱いてあげることも、手を貸してあげることもできないけど、あなたの気持ちに寄り添うことはできるのではないか…とおもいます。

危険な道を、ひとり、とぼとぼ歩く小さな子供のように、朝の明るい光にも気づかないで俯いているあなたの、その足もとを一緒にみつめていたい

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どうぞ

むすめが、わたしにぎゅーってしてきて言った。

「ちっくちゃんの心をお母さんにあげる」

私はおどろいて、

「なにそれ?だれがそんなこといわはったん?」ときいたら

「(特別支援学級担任の)O先生が『先生の心をちっくちゃんにあげる』っていわはったから、ちっくちゃんのこころはお母さんにあげるの」

そしてふたつのてのひらを、わたしにむけて

「どうぞ」と言ってくれた。

「そっか、お母さんのこころは、ちっくちゃんにあげるよ、どうぞ」

ありがとう

おかあさんのこころを、もらってくれてありがとう

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帝王切開受けた妊婦と胎児死亡…「大量出血」と静岡厚生病院

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080502-OYT1T00335.htm

明らかに「つり」目的の見出しではないでしょうか。

私も、常位胎盤早期部分剥離を起こしました。

その日の前日くらいから間断ない痛みがあったのですが、我慢できないほどの痛みでもなく、家族には痛い痛いと言っていましたが、前駆陣痛かなとおもい、夫には明日くらいお産になるかもといっていました、ちょうど、翌日が健診だったので、自分としてはそのまま入院するつもりで、用意し、夫にも長男を迎えにくるために、仕事を早仕舞いできればしといてねといって産院にいきました。
診察してもらった結果は、まだ陣痛はきていないし、子宮口も全くあいていないので、子宮口を柔かくする薬を注射してもらい、NSTをうけました。
その波形をモニターでみていたベテランの助産師さんが、これはおかしいといって、まわりの看護師さんたちにも見せていましたが、先生は大丈夫だとおっしゃったので、自宅に帰りました。それが午後1時くらい。
そして、家でお産になると思ってたのに~といいながら、家族で休んでいて、午後6時ごろ、トイレに行こうと立ち上がったところで、ざあああと足を伝う感覚がしました。あっといってる間に、足元に新聞紙を広げたくらいの血だまりができました。
我が家はそのころ、まだ子機がなかったので、夫に産院に電話してもらったけど、夫の説明じゃわからないようで、這っていって電話に出て
「血がじゃーーとでてるんですけど」といったんですが、電話に出た助産師は

「皆さん、よく言われるんですけど、なんでもないですから~」

え?そういうものなの?とおもいながら、「でも・・・」とねばっていたら「来たかったら来てもいいですけど、大丈夫ですから」といわれたので、ともかく行きますといって、夫の車でつれていってもらいました。

行って見たら、電気ついてないし、玄関しまってるしー!

夫がかなり何度も呼んでくれて、やっとでてきてくれたのが、昼間に「おかしい」と言っていた助産師さんで、その人が先生を呼んでくださってやっと診察。
そこへ電話の人がきて

「おかーさん、こんなんやたら、救急車で来てください!」

あんた、こなくていいっていってたやんとおもいつつも、大人しく寝かされていました。母体搬送を先生はすぐに決めたのですが、肝心の搬送先がきまらずに、そのまま1時間くらいまち、さらに一時間弱かけて市内の大学病院に搬送され、緊急帝王切開をうけました。
お陰さまで、母子共に命を救っていただきました。

早期剥離なんて、妊娠中毒もなく、事故にあったわけでもない自分に怒るなんて、夢にも思っていませんでした。退院してから、色々調べてDICのことも、ずいぶん後でしりました。私はとっても元気だったんですけど、(ずっとしゃべってたし)手術に入ってくださった助産師さんに、二日後くらいに会ったとき「源氏星さん?!顔が全然違うから別の人かとおもった!」といわれたし、術後の血液検査の結果を説明していただいたときに「来た時の検査結果は、数値が無茶苦茶だったけど・・・」と言われたこととか思い出して、自分自身も危なかったんだなと後から思ったのでした。
当の妊婦がそうなんだから、まわり(特に親や親せき)はもっと何がなにやらわからないで、ただ後から思えば、おれもおかしかった、これもおかしかったと思い出して、もっと早く分かったんじゃないのかとか、なんとか出来たんじゃないのかというばかりでした。


かかわってくださったすべての方々に心から感謝していますし、その経験があって、いまの私がいて、こうして新たな出会いにも恵まれ、自分は本当に幸せだとおもいます。しかし、それも結局「結果」が良かったからなのだということは思わないではいられません。もしも、子供をなくしていたら、私はそれでも、誰も恨まずに憎まずにいられただろうか?という思いも持ち続けています。
こうして、医療に従事する人に多く出会え、現場の声をきき、沢山学ばせていただきましたので、色々こころにひっかかっていたものも、ほとんどなくなりましたが、悪い結果だったら、こんな風に素直に飲み込むこともできなかっただろうなともおもいます。

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「障害児」とつきあう感性 (1984年)

「障害児」とつきあう感性 (1984年)  宮崎 隆太郎 ルガール社 1984/09

もう24年前に出版された本。
夫と出会って、最重度の障害者の弟がいるといわれ、悩んでいたときに手にした何冊かの一冊。
内容は、大阪で統合教育をすすめていた宮崎隆太郎先生が、統合教育に取り組んできた教師たちの奮闘を、成功例失敗例交えて紹介したものです。
どの話もとても興味深いのですが、今日は最後に書かれた宮崎先生自身のお話を紹介します。

ノーマライゼーションが声高く叫ばれていた当時、統合教育を目指して取り組んでいた先生の学校へ、ドキュメント番組をとりたいと取材班がやってきました。
そして出来上がった番組は、学校で障害児も健常児もともに学び、遊ぶ姿が映されていました。なかでも、遠足でなかなか歩こうとしない障害のある子を、同級生たちが手を引っ張ったり、背中を押したりして一緒に歩きとおす姿は感動的なものでした。
良い番組が出来たと得心していた先生に、取材していたカメラマンから手紙が届きます。
手紙には、自分は障害児と健常児が本当に一緒に教育を受けることが出来るのか?と疑問を抱いて取材に望んだが、取材を通して、自分の考えは間違えではなかったとおもった、という先生にはショックなものでした。

カメラマンが遠足に同行したとき、知的な障害のある子が友達の弁当に手を突っ込んでおかずを食べてしまったのに、知らん顔をしているそのとられたほうの子に

「何故、怒らないんだ?」ときいたら、
「だって、こいつはあほやから」という答えが返ってきたのだと。
そして、あの番組のビデオテープを送るので、もう一度見て欲しいということでした。
先生は、もう一度番組を見直しました。そして、遠足の場面でショックをうけました。
それは、あの歩かない子を数人で手を引っ張ったりして歩いていたあの感動の場面で、手を引っ張っている子たちは、みな、そのこの洋服の袖を伸ばして上からつかみ、直に触らないようにしていたのです。

子供は、残酷で、そして利口です。
大人が、何を望んでいるのか、ちゃんとキャッチし、その通りにやってみせます。でも、それが真実の姿だと思っていると、大きな間違いになるのです。
人権教育の時間に、差別について作文を書かされたら、どう書くべきか皆知っています。だからといって、差別をしないかというと違うのです。
障害のある子と仲良くしましょう、理解しましょうと大人が言えば、子供はそれに応えてくれます。でも、本当の理解は、そんなうわべっつらな奇麗事ではうまれません。
子供たち自身の成長よりも、どこかの団体に言わされているような教育では、この壁は越せないのです。
ただ「仲良くしましょう」「差別しちゃいけません」では、子供たちは表面上繕うことを覚えるだけです。ましてや、健常児に我慢や理不尽な感情を起こさせていては、わだかまりが大きく見えないところで膨らんでいくだけです。

児童精神科の先生は、通常学級の中に障害児をいれたときに、健常児が「障害のある子と一緒にいて自分たちが損をしない、というか、得なこともあるな」と思うようにもっていくことが大事だとおっしゃいました。そのためには、親は、わが子の権利ばかり主張しないで、クラスの子達の気持ちにも寄り添うことが必要なのだとおもいます。

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児童精神科の日

先日は、息子の児童精神科受診日でした。
前回がちょうど一年前でしたので、去年のことを色々話しました。

息子の話から離れて、息子の友達でアスペ傾向のあるコたちやらの話をしていて、発達障害のある人に多い傾向で
「自分はとっても傷つき安いけど、他人の痛みに対して気づきにくい」というのがあるとおっしゃいました。
うちの子たちもそうなので、とっても納得しました。
発達障害のある人に対する対応で社会に対して、こちらが望むのは、何をしても責めないことや特別に何かしたりすることではなくて、理解できる言い方で説明したり、はっきりと言葉や態度で気持ちを示すことなんですけど、それがなかなか理解してもらえないんですともおっしゃっていました。

たとえば、うちの子の場合だと
「この御菓子たべてもいい?」と聞いてきたとき
「うん」というと「うんじゃわからない!」って泣き出したりします。そこで「なんでわからないの??」とか責めないで
「うん、たべてもいいよ」とはっきり言ってやるといいのですが、先生がおっしゃるのも、そういうちょっとしたことなんだとおもいます。
とくに、空気を読むとか、先を見越して気持ちと違うことを言ったりする日本の社会は、このコたちには難しいんだそうです。
日本の会社で、なんど就職しても上手くいかなかった人が、東南アジア系の会社に就職するとぴったりはまったという話もうかがいました。

あと、最近は、障害の範疇には入らないけども、社会性の弱い
いわゆる「不思議ちゃん」が増えていて、その原因は、目に留まりやすくなったのか、絶対数が増えているのか、色々研究されているけど、分からないそうです。

ネットをしていると、そういう人とよく出会います。
そういう傾向のある人にとって、ネットは手足のような便利なツールでもあるけれども、それによって特性が助長、増幅されてしまうのかもしれないとおっしゃっていました

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