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2008年5月

ひとりにしたくない

娘の登校への付き添いを続けています。
娘は、ときどき、学校にいくのがいやーになるのですが、私が付き添うことで頑張ろうという気持ちを維持しているようにおもいます。

朝、登校班につきそってると、娘だけじゃなく、他の子にも眼が行きます。知っている子をみると、「おはよう」と声をかけます。低学年の子はくったくなく笑顔をかえしてくれますが、高学年になるとちょっと恥ずかしそうです。

登校班の最後尾をついてあるいていると、知らない子が一人で、歩道からはみ出て、車道をとぼとぼと歩いていました。
「危ないよっ」と、歩道に引き上げました。
女の子です。たずねてみたら、一年生でした。
近頃ことですので、子供(それも一年生)の一人での登校は禁止されています。登校班に置いていかれたら、兄弟か親が付き添うことになっています。
オーバーオールの中に両手をつっこんで、うつむき加減にとぼとぼ歩いている、話しかけても、ほとんどしゃべらない子で、心配なので学校まで付き添うことにしました。
その子の様子に、ちょっと思うことがありました。
校門までおくると、たまたま、その子の担任の先生がいました。
「Tちゃん!」名前を聞いて、近所に、かなり難しい子で、おかあさんにも放置され気味の子がいると聞いていたのを思い出しました。
先生に、一人で歩いていたことを伝えると、そうですかと引き受けてくださいました。

別の日

今度は、M君が一人で歩いていました。このコは、コミュニケーションが苦手で、みんなと同じ行動が出来ず、登校班や学校で孤立しています。この日も登校班において行かれた模様。
M君も一年生です。足を引きずってゆっくり歩いています。
「Mくん、どうしたの?」ときくと、学童で上級生に殴られて、段差のある座敷のスペースから落とされて、足を捻挫したと教えてくれました。お母さんに言っても、真剣にきいてくれないとも言っていました。
「一緒にいこうか」といったけれど、歩くのがゆっくりすぎて、娘の登校班と離れてしまうので、一旦、娘を学校まで送ってから、引き返して迎えに行きました。
すると、さっきよりもっと、足をひきずって
「いままた蹴られた、痛い~」といって半べそをかいています。
「一緒に行こう、校門で校長先生にいうてあげるから」
校門まで行くと、校長先生がいらっしゃったので、お預けして帰りました。

おせっかいな、うっとうしいおばちゃんとおもわれるかもしれないけど、あなたたちも、あなたたちのお母さんも、孤立させてはいけないと思います。
なにかいえるわけでも、なにか出来るわけでもないけど、
ひとりにはしたくない・・・

自閉症の子を抱えたお母さんが、自閉症の子とその兄を殺したという事件がありました。その痛み、苦しみ、悲しみ、共有できる人はいただろうに、でも救うことは出来なかった…。この子たちが、自閉症だとかいうのではないのですが、育てにくさをお母さんも感じていて、悩んでいるのではないかなと感じました。

同じ悩みを持って、私の日記を読みに来てくれる人に、私は何もえらそうなことは言えないけど、果てしない終りないようにみえることでも、まったく変わらないということはありません。
「つらい」と「たすけて」と声を上げてほしい
その声を聞いた人は、耳を貸してあげて欲しい

もし、誰も話も聞いてくれないというのなら、私にあなたの声を聞かせてほしい
肩を抱いてあげることも、手を貸してあげることもできないけど、あなたの気持ちに寄り添うことはできるのではないか…とおもいます。

危険な道を、ひとり、とぼとぼ歩く小さな子供のように、朝の明るい光にも気づかないで俯いているあなたの、その足もとを一緒にみつめていたい

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どうぞ

むすめが、わたしにぎゅーってしてきて言った。

「ちっくちゃんの心をお母さんにあげる」

私はおどろいて、

「なにそれ?だれがそんなこといわはったん?」ときいたら

「(特別支援学級担任の)O先生が『先生の心をちっくちゃんにあげる』っていわはったから、ちっくちゃんのこころはお母さんにあげるの」

そしてふたつのてのひらを、わたしにむけて

「どうぞ」と言ってくれた。

「そっか、お母さんのこころは、ちっくちゃんにあげるよ、どうぞ」

ありがとう

おかあさんのこころを、もらってくれてありがとう

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帝王切開受けた妊婦と胎児死亡…「大量出血」と静岡厚生病院

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080502-OYT1T00335.htm

明らかに「つり」目的の見出しではないでしょうか。

私も、常位胎盤早期部分剥離を起こしました。

その日の前日くらいから間断ない痛みがあったのですが、我慢できないほどの痛みでもなく、家族には痛い痛いと言っていましたが、前駆陣痛かなとおもい、夫には明日くらいお産になるかもといっていました、ちょうど、翌日が健診だったので、自分としてはそのまま入院するつもりで、用意し、夫にも長男を迎えにくるために、仕事を早仕舞いできればしといてねといって産院にいきました。
診察してもらった結果は、まだ陣痛はきていないし、子宮口も全くあいていないので、子宮口を柔かくする薬を注射してもらい、NSTをうけました。
その波形をモニターでみていたベテランの助産師さんが、これはおかしいといって、まわりの看護師さんたちにも見せていましたが、先生は大丈夫だとおっしゃったので、自宅に帰りました。それが午後1時くらい。
そして、家でお産になると思ってたのに~といいながら、家族で休んでいて、午後6時ごろ、トイレに行こうと立ち上がったところで、ざあああと足を伝う感覚がしました。あっといってる間に、足元に新聞紙を広げたくらいの血だまりができました。
我が家はそのころ、まだ子機がなかったので、夫に産院に電話してもらったけど、夫の説明じゃわからないようで、這っていって電話に出て
「血がじゃーーとでてるんですけど」といったんですが、電話に出た助産師は

「皆さん、よく言われるんですけど、なんでもないですから~」

え?そういうものなの?とおもいながら、「でも・・・」とねばっていたら「来たかったら来てもいいですけど、大丈夫ですから」といわれたので、ともかく行きますといって、夫の車でつれていってもらいました。

行って見たら、電気ついてないし、玄関しまってるしー!

夫がかなり何度も呼んでくれて、やっとでてきてくれたのが、昼間に「おかしい」と言っていた助産師さんで、その人が先生を呼んでくださってやっと診察。
そこへ電話の人がきて

「おかーさん、こんなんやたら、救急車で来てください!」

あんた、こなくていいっていってたやんとおもいつつも、大人しく寝かされていました。母体搬送を先生はすぐに決めたのですが、肝心の搬送先がきまらずに、そのまま1時間くらいまち、さらに一時間弱かけて市内の大学病院に搬送され、緊急帝王切開をうけました。
お陰さまで、母子共に命を救っていただきました。

早期剥離なんて、妊娠中毒もなく、事故にあったわけでもない自分に怒るなんて、夢にも思っていませんでした。退院してから、色々調べてDICのことも、ずいぶん後でしりました。私はとっても元気だったんですけど、(ずっとしゃべってたし)手術に入ってくださった助産師さんに、二日後くらいに会ったとき「源氏星さん?!顔が全然違うから別の人かとおもった!」といわれたし、術後の血液検査の結果を説明していただいたときに「来た時の検査結果は、数値が無茶苦茶だったけど・・・」と言われたこととか思い出して、自分自身も危なかったんだなと後から思ったのでした。
当の妊婦がそうなんだから、まわり(特に親や親せき)はもっと何がなにやらわからないで、ただ後から思えば、おれもおかしかった、これもおかしかったと思い出して、もっと早く分かったんじゃないのかとか、なんとか出来たんじゃないのかというばかりでした。


かかわってくださったすべての方々に心から感謝していますし、その経験があって、いまの私がいて、こうして新たな出会いにも恵まれ、自分は本当に幸せだとおもいます。しかし、それも結局「結果」が良かったからなのだということは思わないではいられません。もしも、子供をなくしていたら、私はそれでも、誰も恨まずに憎まずにいられただろうか?という思いも持ち続けています。
こうして、医療に従事する人に多く出会え、現場の声をきき、沢山学ばせていただきましたので、色々こころにひっかかっていたものも、ほとんどなくなりましたが、悪い結果だったら、こんな風に素直に飲み込むこともできなかっただろうなともおもいます。

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「障害児」とつきあう感性 (1984年)

「障害児」とつきあう感性 (1984年)  宮崎 隆太郎 ルガール社 1984/09

もう24年前に出版された本。
夫と出会って、最重度の障害者の弟がいるといわれ、悩んでいたときに手にした何冊かの一冊。
内容は、大阪で統合教育をすすめていた宮崎隆太郎先生が、統合教育に取り組んできた教師たちの奮闘を、成功例失敗例交えて紹介したものです。
どの話もとても興味深いのですが、今日は最後に書かれた宮崎先生自身のお話を紹介します。

ノーマライゼーションが声高く叫ばれていた当時、統合教育を目指して取り組んでいた先生の学校へ、ドキュメント番組をとりたいと取材班がやってきました。
そして出来上がった番組は、学校で障害児も健常児もともに学び、遊ぶ姿が映されていました。なかでも、遠足でなかなか歩こうとしない障害のある子を、同級生たちが手を引っ張ったり、背中を押したりして一緒に歩きとおす姿は感動的なものでした。
良い番組が出来たと得心していた先生に、取材していたカメラマンから手紙が届きます。
手紙には、自分は障害児と健常児が本当に一緒に教育を受けることが出来るのか?と疑問を抱いて取材に望んだが、取材を通して、自分の考えは間違えではなかったとおもった、という先生にはショックなものでした。

カメラマンが遠足に同行したとき、知的な障害のある子が友達の弁当に手を突っ込んでおかずを食べてしまったのに、知らん顔をしているそのとられたほうの子に

「何故、怒らないんだ?」ときいたら、
「だって、こいつはあほやから」という答えが返ってきたのだと。
そして、あの番組のビデオテープを送るので、もう一度見て欲しいということでした。
先生は、もう一度番組を見直しました。そして、遠足の場面でショックをうけました。
それは、あの歩かない子を数人で手を引っ張ったりして歩いていたあの感動の場面で、手を引っ張っている子たちは、みな、そのこの洋服の袖を伸ばして上からつかみ、直に触らないようにしていたのです。

子供は、残酷で、そして利口です。
大人が、何を望んでいるのか、ちゃんとキャッチし、その通りにやってみせます。でも、それが真実の姿だと思っていると、大きな間違いになるのです。
人権教育の時間に、差別について作文を書かされたら、どう書くべきか皆知っています。だからといって、差別をしないかというと違うのです。
障害のある子と仲良くしましょう、理解しましょうと大人が言えば、子供はそれに応えてくれます。でも、本当の理解は、そんなうわべっつらな奇麗事ではうまれません。
子供たち自身の成長よりも、どこかの団体に言わされているような教育では、この壁は越せないのです。
ただ「仲良くしましょう」「差別しちゃいけません」では、子供たちは表面上繕うことを覚えるだけです。ましてや、健常児に我慢や理不尽な感情を起こさせていては、わだかまりが大きく見えないところで膨らんでいくだけです。

児童精神科の先生は、通常学級の中に障害児をいれたときに、健常児が「障害のある子と一緒にいて自分たちが損をしない、というか、得なこともあるな」と思うようにもっていくことが大事だとおっしゃいました。そのためには、親は、わが子の権利ばかり主張しないで、クラスの子達の気持ちにも寄り添うことが必要なのだとおもいます。

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