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2011年1月

杯中の蛇影と不信という病

【杯中の蛇影】

晋の時代、楽広という優れた人がいて、江南省長官を務めていた時のこと

いつも来る親しい友人があったが、ながいこと訪ねてこない。広はふしぎに思ってそのわけをたずねてみた。すると、
 「このまえ、うかがって酒をいただいていたときでした。飲もうとすると、杯の中に蛇が見えるではありませんか。  気色がわるいけれど飲みましたが、それから具合が悪いのです。」
 おかしいことだ、と広は考えた。このまえ飲んだのは? ……役所の一室だ。あそこの壁には弓がかかっていたな?

 そうだ、弓には漆で蛇の絵がかいてあった。……広はまたその人を招んで、まえの所で酒をくみかわした。杯に酒をついで、客にたずねた。
  「杯のなかに、また見えますか?」
 「ああ、このまえとおなじに!」
 「その蛇は、あの弓の絵の影ですよ。」 
 客ははっと悟り、病はたちまちなおったという(「晉書」楽広伝)。

この故事からうまれた「杯中の蛇影」は、「疑いをもってみれば、なんでもないことに神経を悩ますことになる」という意味でつかわれるようになったが、私は、その説明には、少し物足りなさを感じている。

楽広は、友人の訴えを聞きとり、冷静に検証して再現、友人自身が気づき納得できる形で説明することで、友人の病を治したのだ。

この友人が患い、楽広が治した病こそ、現代の医療界を根幹から蝕んでいる「不信という病」に他ならない。

そして、私は、この故事のなかに、その治療法が示されていると考えている。

【たらいまわし体験】

私は、11年前の冬、長女を妊娠中、常位胎盤早期剥離にみまわれ、一旦入院した個人医院から高度医療機関に母体搬送されることになったが、なかなか受け入れ先が見つからずに、自宅で大量出血してから大学病院に収容されるまで3時間を要した、俗にいう「たらいまわし」を経験し、以降、医療問題に関心をもつようになった。

大学病院での入院期間は、私にとって価値観を大きく変える大きな出来事だった。周産期診療部では、ハイリスクの妊娠出産に望む多くの妊婦と赤ちゃんと、それを支える医師やスタッフに出会い、自分たちが、安心安全で当たり前と思っていた妊娠や出産が、現代でも高いリスクがあり、日本の高い安全性を誇る医療が、多くの医療従事者の努力と犠牲によって成り立っていることを初めて知ったからだ。

しかし、それはあまりに、それまで自分がいた世界とは隔離されていたために知ることのなかったことばかりで、退院後、自分のまわりの母親仲間に話しても、殆どの人が知らないし、ピンとこない様子だった。

反面、かかりつけ医に午前中受診し、前兆と思われる症状があったのに帰宅させられたことを、「それは医療ミスではないか」といわれることは多かった。

当時、医療事故や医療ミスに関する報道が盛んにおこなわれ、「患者本位の医療の安全を」という論調が強かったとおもう。長女は後に自閉症と診断され、障害児をもつ家族との交流の中でも障害の原因は、出産時の事故、医師のミスではないかと考えている親は少なくなかったが、名もない素人が病院や医師相手に訴訟を起こすことなど、まず不可能であったので

実際に訴訟を起こした人には、直接出会うことはなかったが、ほとんどの人が確証もないまま、「医療行為に過失があったのでは?」という不信感に苛まれながら、困難な子育てに忙殺されていた。

【訴えたいのか?!】

我が家に、自分用のパソコンとインターネットがやってきてから、自分なりにいろいろ調べたり、医師が多く参加していると思われる医療系の掲示板などに、自分の体験を書き込み、常位胎盤早期剥離の前兆だったのでは?とおもう症状について質問すると

「そんなことを今更調べてどうするつもりだ?その開業医を訴えたいのか?!」

「あんたや子供が無事だったのは、その開業医や受け入れ先のおかげなんだから、感謝しろ」というような返事を頂戴した。

自分でも調べてみて、「常位胎盤早期剥離」は予測が不可能なこと、母子ともに死亡することもある現代でも怖い病気であったこと、母子ともに元気でいられることがどんなに幸運であったかもわかり、関わって下さったすべての方に深く感謝している。しかし、同時にNST波が異常であったこととの関連性を知りたかったのだが、その「自分の身に起きたことを知りたい」という思いを「訴えたいのか?!」という言葉で切り捨てられたことに強いショックを受けた。

私には、そのつもりはなかったのだが、そう言わせた理由がどこかにあるのなら、それを知りたいと思うようになり、苛立ちを見せる医師(と思われる人々)の言葉を拾い、理解できないことは尋ねた。更に酷い言葉を返されることもあったが続けているうちに多くのことを知ることができた。

医師看護師不足、医師の30時間を超える連続勤務、過重労働からうつ病を発症し自殺した医師の遺言のこと

マスコミによる偏向報道、増える訴訟、過剰な期待や要求をする患者や家族のこと

当時、のちに「県立大野病院事件」「大淀病院事件」という改めて説明の必要のない大事件につながる「杏林割り箸事件」が医療系掲示板を騒然とさせていた。

現場の医療者たちも、深く傷つき、患者を信じることができない不信という病に苦しんでいたのだ。

以後、自分の身に起こったことから、本当に学ばなければならないのは何なのか?自分にできることは何なのかと考えるようになったが、そのあと長女の障害発覚、療育、自身のうつ病などのために、なにもできないまま年月がすぎた2007年、新聞で、京都府医師会の中に、医療・介護関係者、マスコミ関係者、一般府市民などがあつまり、医療・介護現場で起こっている様々な問題について、それぞれの立場からざっくばらんに語り合うことで、よりよい関係を築くための心得を探ることを目的に、「いまの医療、こんなんで委員会」が出来たことを知った。

【今の医療、こんなんで委員会】

その頃、インターネット上で、多くの医療従事者と話し合っていくなかで、「誰もこんな話は興味がないし、聞いてくれない。高い給料貰って、自分のやりたいことをやっているのに弱音をはくな、嫌なら辞めろと言われる。実際、多くの仲間が辞めていった。自分も辞めたいが辞めたら、この地域の医療はどうなるかとおもうと辞められない。だから、あなたのように関心をもって聞いてくれる人がいるというだけでとてもうれしいし、まだもう少し頑張ろうとおもう」といっていただくことがときどきあった。

実際、私ができたのは、「関心と共感を持って聞く」ということだけだったが、それだけでもいいということは、つまり、現場を守っている医療者の声を私たちが直接聞くという機会がないことが、医療者と患者側との溝の原因になっているのではないかと考えていた。

そんな時に、医師の中に同じように対話の必も要性を考え、その場として京都府医師会が提供するというニュースに感激して、すぐに京都府医師会に記事の感想をメールに書いて送り、それがきっかけとなって、こんなんで委員の一人として参加させていただくことになった。

初めて府医師会館に行った時、担当理事から「医療について、おかしいと思うことやわからんとおもうこと、なんでも遠慮せんという発言してや」と声をかけていただいた。

そして改めて、「患者側や医療者ではない一般の人たちは、医療の不確実性も限界も知らないから無茶な要求をするが、我々医師側も知らせてこなかったし、外部から批判されることを恐れて閉鎖的になってきたことを反省しなければならない。医者がなにを考えて診療を行っているのか、今の医療のなにが問題だと考えているのを、患者や報道関係者や一般の人に知ってほしいし、逆に、みんなが医療や介護について考えているのかを知りたい。

どんな意見や疑問にも、患者側に誤解や知識不足があれば説明して訂正し、こちらに非があることは率直に受け入れる。すぐにここでは変えようがない制度問題に終わってしまうのではなく、医療を受ける側、提供する側、両方が崩壊寸前の医療を守るために知るべきこと、心がけるべきことは何なのかを考えたい」という趣旨をお聞きした。

「今の医療、こんなんで委員会」のこのスタンスは、3年たった今でも変わらず、月に一度の定例委員会に加えて、さらに誰でも参加できるシンポジウムや公開委員会を、「妊婦のエチケット、医者のマナー」、「今、介護の現場では」、「看取りの現場~本音と建前~」、「医者の本音 患者の本音~あなたにとって良医とは~」、「生きざまと死にざま~リビングウィルのすすめ」をテーマに5度開いた。

公開委員会は、会を重ねるごとに参加者を増やし、100人定員に対して200人を超える応募があり、事務局はうれしい悲鳴をあげている。これは、市民もまた、医療者との対話の場を求めている証だと私は考えている。毎回、会場からの発言も熱心で、京都府市民の関心の高さをいつも感じることができる。

だが、こんなんで委員会や公開委員会は、一般市民である私たちにとって、医療がおかれている現状や、医療の不確実性や限界があることを知る機会だが、実際に起った個々のケースについて、それが不可避だったかどうかを判ずる場ではない。

自分や家族が医療を受けたあと、不幸な結果に至った時、そこに過誤があったのか、避けることのできなかったことなのかをしりたいのは当然のことだとおもう。

「訴えたいのか?!」と言われなくても、誰もが最初から訴訟を考えているわけではない。

費用や時間や労力をかけても、患者側には不利なことが多いし、結局知りたい事実が新たにわかったということは少ない。訴訟は相手のアラを探すだけで、真実を究明する場ではないからだ。

しかし、医療側にも患者側にも、消耗するだけで得るものが少ないのが現状だとしても、誰もが等しく持っている権利を制限したり、奪うことは不可能である。

訴訟を減らす為には、患者側にとっても医療ADRが普及し、利用しやすいものになっていくことが必要だ。

京都では医療ADRのようなものは以前から行われていて、1959年から保険医協会理事(会員医師)が患者側との交渉を当該医師に代行して実施し、1961年からは担当理事を選任して医事紛争処理部を発足させ、京都府医師会にも1962年に医事紛争処理室を設け、1965年に医事紛争検討委員会(医療安全対策委員会2003年)を発足させている。

【不信という病】

魏の将軍夏候玄は、道で遊んでいた、幼い楽広のひととなりの清らかさと怜悧さを愛して学問を勧めた。

楽広は、のちに見出されて官についたあとも、つつましやかで、でしゃばらず、人の話によく耳をかたむけるたちの、澄んだ瞳の持ち主であったらしい。江南省の役所に現れた化け物を狸と見破った話もある。

彼は、友人から、蛇の話を聞いた時、「私が客に蛇入りの酒などふるまうわけがない!事実無根のいいがかりだ!」と跳ね返すことも、「弓に描かれた蛇の絵が映ったくらいで病気になるなんて、なんという腰ぬけだ」と嘲笑することもしなかった。むしろ、自分への遠慮から、その場で言い出せず、気持ちの悪い思いをさせてしまった友人に申し訳なく思っていたかもしれない。

杯に映った蛇は、絵が映りこんだだけで、蛇そのものではなかった。しかし、蛇の影は、たしかにあり、人を不安にさせるのには十分な事実なのだ。「影だけだったから、なにもないということ」と言われても、不安は払拭されない。

この友人も、杯中の蛇が、酒に映った絵だったと指摘された時、「恥をかかされた」「蛇そのものじゃなくても、蛇の絵がうつることが気持ちわるいのだ」と開き直って楽広に怒りをぶつけるわけでなく、自分の勘違いだったと納得して心を鎮めることができる人物であったからこそ、自らの「病」を治すことができたのである。

私のように狭量で臆病な人間ならば、楽広の招かれても、怖い蛇のいる館を再び訪ねることもなかったかもしれない。

楽広の人柄をよく知っていたことも大きいが、この人の率直さや素直さも見習いたい。

そもそも、なぜ、人は蛇におびえるのか。

不老不死のイメージを持たれている蛇は、絶対的な知識の象徴であり、蛇が巻き付いた杖は、ギリシャ神話の医学を司る神アスクレピウスの杖として、世界保健機構(WHO)の紋章としても知られている。

現代に生きる私たちにとっての蛇影は、医療、医学に対する絶対的な知識と未知なるものへの怯えと畏怖なのかもしれない。

不信の病は、医療者と患者間の医療不信にとどまらないが、不信の原因を正しく検証して突き止めるだけではなく、楽広はどうしたか、彼の友人はどうであったかの両方を常に考えて行動することが、どんな場合にも重要ではないだろうか。

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