« 2013年9月 | トップページ | 2014年5月 »

2014年2月

「ごちそうさん」で復習する「人間行動に潜むジレンマ」

岡檀著「生き心地の良い町~この自殺率の低さには意味がある~」を読んで、関連があると思った
大浦宏邦著「人間行動に潜むジレンマ~自分勝手はやめられない?~」を再読
色々と関連するキーワードは浮かぶのだけど、どうまとめていけばいいのか、ここ数日うんうんうなっていたのだけど、先週の「ごちそうさん」の内容が、「これって社会的ジレンマってやつじゃないの??」という話で、頭を整理するのにちょうどよかったです。

「これ」ってつまり、先週のごちそうさんの副題「貧すれば、うどんす」
あらすじは、こちら

太平洋戦争が始まった昭和18年、あらゆる物資が不足し、配給に並んでも乏しい食料しか手に入らない中、め以子は、食料をやりくりして近所の子供たちにもおやつを食べさせていて、人々から「ごちそうさん」と呼ばれていました。
しかし、誰かに闇で食料を買っていることを告げ口されてしまい、せっかく高いお金を払って買った大事な米も、取り上げられたり、近所の人たちに嫌みを言われたり、いけずをされて嫌気がさして、もう誰かに食料を分けるのはやめる!といいます
その上、その近所の人のひとりを密告者と決めつけ、とっくみあいの喧嘩までして、相手に風邪をひかせる始末。

同じころ、め以子の親友桜子の夫で、童話作家の室井は、ラジオの朗読劇で、神風が吹いて「おでん皇国」がポトフ連合に勝つという戦意高揚のために作った童話をアドリブで、海中の火山が噴火して、両軍の具材は全部投げ出された海があたたまり、おでん皇国の昆布はんのだしでまろやかに煮込まれてしまうという話しにしてしまいます。

ラジオを聞いていため以子は、町内会で、食材を少しずつ持ち寄って調理する「合同炊事」を呼びかけ、食糧難を乗り越えるのでした。


自分の家だけでは、満足な料理を作れるほどの材料も揃わないし、燃料も乏しい。それぞれが出せるものをだしあったら、出来る料理もあるし、燃料も節約できる。良い戦術ですよね。
美味しく食べて温まるだけじゃなく、情報の交換も出来そうですし、ギスギスいけずしあっている間はわからなかったお互いのことが、腹を割って話し合うことも出来て、誤解が解けたりもします。
知り合いになって、運命共同体になれば、密告などの「やり返されたら困るような」やり方もしにくくなります。むしろ、外集団からの攻撃や警察の取り締まりへの対策でも、協力しあえるかもしれません。

合同炊事の場である「喫茶うますけ」は、この町内会の社会関係資本の「貯め」の場になるのだと思います。社会関係資本は「信頼」「互酬性の規範」「ネットワーク」からなる社会の潤滑油だ、「人間行動に潜むジレンマ」の著者が、ちょうど同じNHK朝の連続ドラマ「ゲゲゲの女房」のこみち書房についてブログで書かれています。

そんなふうに、食材や炭を提供することで、提供したもの以上の利得がいつもあれば、このやり方はかなりうまくいくと思います。
しかし、今後も続けてやっていこうとおもったら、いろいろ規範をきめていかないと近いうちにもめそうです。
持ち寄る食材など自由では、同じものばかり重なったり、少しの供出で家族10人分食べる家があったりとか、こっそり持ち帰って参加していない人に横流しする人とか・・・
そんなことが増えてくると、たくさん供出してくれる人ほど利得が無いからと、共同炊事から抜ける人がでてきて、共同炊事が成り立たなくなりそうです。
なので、しっかりした「規範」をつくり、規範を守らない「裏切り者」を発見して罰(サンクション)を与えようということになっていくでしょう。
5人家族だったら、最低限これだけは供出すべしとか、貴重なものは持ち回りで準備するようにとか。
しかし、時代が時代、食べ物も燃料も、さらに手に入らなくなっていきます。闇で入手できる余裕がない家は、協同炊事からさえも抜けざるをえなくなるでしょう。
つまり、それは社会関係資本をも失うということです。

経済的に行き詰まり、体を壊したり年をとったりなどで社会に協力することが出来なくなった時、つまり、協同炊事の場に何も持って行けなくなった時、私たちは、本当に孤立し、困窮してしまいます。
もともと、配給のもらいが少なかったり、貧しくて闇買いも出来ない、病気がち、あるいは最初から地域でも孤立している家などそうなりがちでしょう。そういう家や人を「弱者」として切り捨てていくのはやむを得ないことかもしれません。
しかし、いつ、どんなことで、働き手や資産を失うか、誰にもわかりません。自分がそうなった時に、困るような仕打ちは出来るだけしないほうが得かもしれないし、やけくそで闇買いその他を密告されても困ります。
それに、合同炊事には来れなくても、火災が起きれば消火は協力しなければならないし、他にも、「町内」という家族ぐるみで長年つきあってきて、おそらく今後も付き合いのある知人は、協力をお願いしたい場面はあると思われます。
なので、出来る限りは「寛容」であるほうが、自集団の利得のためには良いのではないかと考えます。

しかし、そうはいっても、やっぱり「ごちそうさん」の世界はかなり暢気ですね。
本当にもっともっとモノがなくなって全員が生きるか死ぬかの瀬戸際に立ってしまったら、「協力」も「寛容」もなにもなくなるでしょう。余裕がなくなってしまうと、協力しあえる関係がなく、利得にならないので、「お互いに非協力」が安定するわけですから。
でも、だからこそ、出来るときに「社会関係資本の貯め」を作っておくべきなんだなと改めて思ったのでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年9月 | トップページ | 2014年5月 »