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ハーネスと魔女の宅急便と「養育責任の社会化」(その2)

 
ジブリアニメの「魔女の宅急便」は、「女性の自立」をテーマに作られました。
主人公のキキは13歳の魔女ですが、魔法は「空を飛ぶこと」それだけしか使えません。そして、それさえ、満足ではありません。魔法の箒はすぐにバランスを崩して制御不能で暴走したり、数十メートル上空から落下したり、とても危なっかしいのですが、そのたったひとつの才能を武器に仕事をはじめて、親元を離れ誰も知る人のいない町で暮らさなければなりません。それは、「絵を描く」こと以外に何もない自分そのものでした。
この「」の中身が人それぞれ違うだけで、自分の強みを活かして仕事をしても、うまくいくことの方が少なくて、失敗ばっかりで自信を失ったり、生きていくことの難しさや社会の厳しさや、でもうまくいった時の喜びや新しい友人を得る幸せを多くの人が経験して知っているから、多くファンの共感を得たのだろうと思います。

13歳のキキは、全くつてのない大きな町で一人暮らしを始めるのですが、実は「空を飛ぶ」以外のおそるべき才能を持っていて驚かされます。それは「自分と他人を信じる」ということです。
ともかく、傍から見て非常に危険がいっぱいの飛行能力で空を飛ぶのですから、その「自分を信じる力」は半端なものではありません。突然力を失ったら、完全にコントロールを失ったら、それは本当なら「死」を避けられないでしょう。死をも恐れない超絶ポジティブさです。
そのうえで、「お届けものやさん」を始めます。お客さんから大事な「届け物」を預かって届ける…落としたりぶつけたりしたら弁償しなくてはいけませんし、十分にコントロールできないのに、決められた宛先に決められた時間に届けることができると言う根拠のない自信だけが頼りです。訴訟の多い私たちの社会なら、まず周囲が全力で止めたことでしょう。

もうひとつは「他人を信じる」力です。
初対面でいきなり、その日の宿にも困っていた自称「魔女」に「気に入ったから」という理由で住まいを提供するおソノさんもオソノさんですが、そのおソノさんや無口でがたいの良いご主人も、非常にあやしく、とても信用できないのが普通ではないでしょうか。
非常に疲れ果てていて、正常な思考力がなかっただけなのかもしれませんが、キキは素直に喜んで住みはじめ、その場で商売も始めます。その他にも、キキは「一般的信頼」がとても高いといえる場面がいくつもあります。

一般的信頼というのは、「たいていの人は信頼できるので特に用心する必要はない」と考えることです。
一見、ただの世間知らずのお人好しで、すぐに犯罪に巻き込まれたりしそうにおもいますが、実際には、信頼できる人かどうかを瞬間的に見極める能力に長けているという話もあるそうです。キキもそうなのかもしれません。実際、キキが出会った人たちは皆良い人ばかりで、キキに協力的ですし、キキも周囲に助けを求めるのがとても上手です。
「自立」とは、自分以外の誰も何も頼らずにひとりでがんばることじゃなく、自分の強みを活かしながらも、周囲を信頼し、上手に頼ったり頼られたりすることができることなんですが、13歳のキキは、旅立ったその日から『自立』していたんですね。
なぜなんでしょうか。
アニメの中ではあまり描かれていない、キキの成育環境に関係ありそうです。


ところで、ジブリアニメ「魔女の宅急便」は、角野栄子作の同名小説が原作であることは言うまでもないことですが、原作とアニメはずいぶん違う内容のようです。アニメ化に際し原作者が宮崎駿氏に唯一お願いしたことは、「キキの旅立ちの日、鈴を鳴らせてほしい」ということだったそうです。
アニメの中では、あの冒頭のシーンだけに登場する鈴ですが、作者にとっても重要なものだったことがわかります。
アニメの中では説明がありませんが、あの鈴をつけたのは、キキの母親であるコキリさんです。10歳から魔女見習いとして箒で空を飛び始めたキキですが、その力はおぼつかないのに注意力散漫で、他のことに気をとられると箒が下がってきていても気づかず、電柱にひっかっかってしまいそうになるからで、町じゅうの高い木々に大きな鈴をつけておけば、箒の高度が下がって木に足をひっかけても、鈴が鳴るので気がついて、電柱や他の建物にぶつかることを防げるからです。幼いキキを守ることだけじゃなく、おそらく、キキの墜落や暴走で村人に危機が及んだり、村人の財産を守る意味もあったのでしょう。

アニメの中でも、町の中で暴走して渋滞や事故を誘発したり、騒ぎをおこしているし、それは村でも同じだったに違いありません。建物や作物を傷つけたり、家畜を驚かせたりしたことでしょう。鶏は玉子をうまなくなったり、牛は乳がでなくなったり、そんなこともあったかもしれません。
そもそも、魔女の子とはいえ、そんな危険なことをさせていること自体、どうかしていると思います。木々に幼い女の子が激突したり足をひっかけてきりきり舞いしたりしていることを知らせる鈴の音を、村の人は、「キキの鈴」を名付けて愛していたのだと思います。そうでなければ、「あの鈴の音もとうぶん聞けないなあ・・・」というセリフができくるはずがないからです。
そう、あの「あの鈴の音も・・・」は、アニメ「魔女の宅急便」のなかで、村人たちがキキの育ちを家族と一緒にいかに静かに見守りってきたかを、たった一言で表現しつくしている。だから、「来る」んですねえ・・・(もうなんか涙がが・・・)

キキが生まれ育った町は、コキリさんとキキ以外は普通の人間ばかりです。
魔女と言えば「悪いたくらみをする」として嫌われることも多かったのに、この村の人たちはコキリさんを
「魔女って時計にさす油みたいな存在よ、いてくれると町がいきいきするわ」といって歓迎し、魔女の子育てを見守ってきました。高い木と言う木のてっぺんにつけられた大きな鈴がなるたびに
「また、ちっちゃなキキちゃんが足を引っ掛けたのね」と目を細めて。
おそらく、それはキキが魔女の子だから特別だったのではなく、他の子供たちも同じように育てられてきたのだと想像できます。
キキは小さな時から、町の人が助け合い、美味しいものなんかを「おすそわけ」をしあって暮らす様子を見て育ち、自分もお手伝いをしたり感謝されたりしてきました。キキにとって、大人や社会は、心から信頼できる、安心できる存在であり自分が肯定される場所だったのです。

もし、町の人が魔女に心を開かず、悪しき存在として阻害していたらどうだったでしょうか。
そんな小さな子を箒なんかに乗せて飛ばせるなんて危険すぎる!町じゅうのの木に勝手に鈴をつけるなんて非常識!電柱や家や畑や家畜の被害をどうしてくれる!!そんな風にバッシングされていたら・・・
コキリさんは、キキに飛行魔法を禁じていたかもしれません。キキは、魔女と言う異端の存在である上に魔法も満足に使えない自分なんか…と自信も持てなかったでしょう。また、親に冷たく当たり阻害する町の人や社会を恐れ、「人に迷惑をかけてはいけない」と、自ら社会や他者とのつながりを断ってしまったかもしれません。
キキがひとりで町を出た時
「あのうるさい鈴の音が聞こえなくなると思うと、せいせいする。やっと平和が戻ってきた!やれやれ」と言われたら、「魔女の宅急便」は一体どんなお話になっていたでしょう。
オソノさんの申し出をうけず、絵描きさんとの交渉もならず、パイのおばあさんとの出会いもなく、トンボのピンチに、デッキブラシを調達することも出来ず、トンボを失い、社会と人間を呪い、ソウルジェムも真っ黒になって本物の人に仇なす「魔女」になっていたかもしれません(違)

「多様性を尊び、お互いさまで助け合い、余計な干渉はしないで黙って見守る」
当たり前のことばかりだけど、なかなか出来ることではなさそうです。私たちは、ついつい逆のことばかりしてしまう。他の人と違うと言われることを恐れ、自己責任を求められ、なにかにつけて駄目だしされる。
なにか強みがあったとしても、失敗を許されなければ試してみることすら出来そうにありません。


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