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ハーネスと魔女の宅急便と「養育責任の社会化」(その3)

こんな暢気なブログをゆっくりぽちぽち書いている間にも、神奈川県厚木市で7歳の男の子の白骨化した遺体が発見されるという、とてもかなしい事件が発覚しています。子供を一人自宅に閉じ込めていた父親が、ある日戻ったら子供が死んでいたので怖くなってそのまま逃げたと供述しているらしいのですが、詳しいことはまだまだよくわかりません。児童相談所も小学校に入学しているはずの子供の所在を最後まで確認せずに、除籍していたなど、ずさんな対応が問題になっています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140531/k10014880641000.html

この件については、まだ何もわかりませんが、親子が孤立状態であったことは間違いなさそうです。他のネグレクトや虐待事件でもそうなのですが、「孤立」といっても、物理的に誰も周囲に人がいなかったわけではなく、実際には、家族や親族、近所の住民や福祉関係者や医療者など接触のある人間は存在していて、それでも困窮していること、そこまで深刻な状況にあることが認識されていなかったということが、最悪の事態に至らしめるというのが実態のようです。
「もっと早く対応していれば、救えたかもしれない」そんなセリフさえ聞き飽きたと思わされます。

こんな事件に対してさえも、「親は、本当に困っているなら、自分から助けを求めるべきだ」「色々な制度があるのに、それを調べようともしないのは親の努力不足」という批判が必ずありますが、本当に困っている人というのは、そういう制度について調べたりすることがそもそも出来なかったり、「他人に迷惑をかけたくない」と、自ら社会や周囲とのつながりを断ってしまう人も多いのです。
自分も行政に助けを求めて冷たい対応された経験があったり、そういう話を聞いたりして、他者や社会を信頼することが出来ない場合もあります。親がそうして孤立していると、子供も他者や社会を信頼できる存在と思うことも出来ないでしょう。

悲惨な虐待報道にふれ、なんとか助けられなかったのかという後悔から、養育能力のない親、自覚のない親を「失格親」として子供を強制的にひきはなし、親権をうばうべきだという話にもなりがちです。
養育能力のない親、資格がない親というレッテルを貼られることを恐れて、望ましい支援を受けることを拒絶する親も多く、その結果、取り返しがつかない結果を招く場合もあります。
児童相談所や児童養護施設などは、子供を親から取り上げるところではなく、一時的に預かって、生活を立て直すために必要な手助けをしてくれるところです。間違ったイメージや認識が広がることで、助けを必要としている親子が、さらに孤立を深めてしまう恐れがあります。
すべての子供が必ず実の親に育てられるべきとは言い切れませんが、原則として、子供を社会で育てるということは、「親子ごと家族ごと社会が支える」ことであるべきです。
なぜ周囲に助けを求めなかったのかを非難するより前に、私たちは、信頼されるに足る存在だったのか、本当にSOSは出されていなかったのか、気づいていなかっただけではないのかを反省するべきだと思います。しかし、では具体的にどうしたらいいのか、いったいなにをどうしたら救えるのかは、まだわかりません。

ただ少なくとも言えるのは、ハーネスだの、ベビーカーだの、スマホのアプリだの、そんなことをあげつらって「虐待じゃないか」とか「近頃の若い親は・・・」と嘆いたり、実際に子育てしている人たちに説教したりするより、色々なやり方があって試行錯誤しながらがんばっている人を静かに見守ることのほうが有効であろうということでしょう。
もし電車の中などで泣いている子供を抱えて困っている人がいたら、なにか手伝えることがあるかと直接きくか、なにもしなくても、子供に微笑みかけるだけでも疲れている親は救われるかもしれません。
ちっちゃな魔女見習いのキキを育てた町の人々ならば、きっとそうします。
町の人々は「キキの鈴」の音に耳を傾け、ちっちゃなキキは今日も元気だね、どっかで落ちてないかね、最近音がなることがすくなくなったねと、いつも気にかけ注意をはらっていたのでしょう。
私も、なにかが出来るわけでなくても、小さな変化や喧騒にまぎれてしまいそうなSOSを見落とさないようにしていたいとおもいます。
そして、いつか親子が本当の自立…便利なグッズや支援制度や人の助けを上手に利用して自信を持って生活できるようになること…出来た時、しみじみと「あの鈴の音」を懐かしくさみしく思い出すでしょう。


「養育責任の社会化」という途方もなく大きな課題を考えた時、ど素人のいち主婦でただのアニメ好きな私が最初に持ったイメージが、「あの鈴の音」だったのは、おそらくこんな理由ではないかと思います。
「あの鈴の音」は、町全体で、未来の担い手である子供を見守り育てるために、共有できる情報であり、手段のイメージです。具体的に自分の町ならば何に置き換えられるかを考えてみるのも、考える手がかりになるかもしれません。

以上ながながながながと駄文失礼しました。ここまで付き合って「おいおい、こいつなんもわかってないやん!」というご意見大歓迎です。全く手探りの状態なので、どんなつっこみでもありがたいです。


さて以下は余談ですが、キキを見守ってきた鈴は、その後どうなったのか。原作によると、一年間の修業を終えて、一旦町に帰ってきたキキは、一人暮らしを始めたコリコの町で改めて暮らすことを決意し、両親に告げます。そのあと、コキリさんと一緒に鈴を取り外し、大きな鈴のひとつをきれいに包んで持たせてくれたのでした。
「もう使うことないのに」というキキに意味深な微笑みを返す母。

で、さらに余談というかネタばれ注意ですが

大人になって、飛行クラブのトンボと結婚し、双子のちっちゃな魔女に恵まれるのだそうです。
今度は、キキが高い木のてっぺんに、鈴をつけてあげたのでしょうか。
こんな「連鎖」なら、大歓迎ですよね。


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