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ハーネスと魔女の宅急便と「養育責任の社会化」(その1)

ツイッターのタイムラインに、友人夫婦の一歳になったばかりの男の子が、ハーネスつけてお散歩にいったよというつぶやきが流れてきました。お外にでたい盛りの男の子とかわいいリュックについたハーネス。とても微笑ましい姿です。

ハーネスといえば、1~3歳くらいの子供の背中に迷子や飛び出し予防のためにつける紐です。アイテム自体は、もうずいぶん昔からあるけれど、子供をペット扱いしているようだという批判が多く、日本ではいまいち普及していません。ハーネスもハーネス批判も、昔からあって珍しくないのだけど、今週はテレビで取り上げられ、批判的なコメンテーターのツイートが注目されるなどで、にわか話題になりました。


今回は、ハーネスだけど、今までも、電車の中でのベビーカー利用や、子連れの新幹線や飛行機の移動、事件にもなったベビーシッターのマッチングサイトなどに対して、「親の手抜き、愛情不足」「親の都合や楽しみのために子供をふりまわしているだけ、子育て中は我慢するのが当たり前、わがまま」「虐待じゃないか」「社会への迷惑を考えろ」などなどと、子育て世代に対して厳しい意見が目につきます。
便利なグッズやサービスは、上手に使って、大変な子育てを少しでも余裕をもってやっていくことが、虐待予防にも一番大事なことだと思うのだけど、子育て世代に厳しい人たち自身も、それぞれ事情があったり、理由があるのだろうと思うと、社会全体が経済的にも精神的にも余裕をもてるようになっていかないと、同じような議論はターゲットが変わるだけで続いていくことだろうなと思われます。
しかし、そんな厳しい声の主たちも、若いパパママをいじめたいわけじゃなくて、小さな無力な子供を育て上げることへのプレッシャーに、日々のお世話の悩み…おっぱいを飲まない、食べない、寝ない、言葉が出ないなどの発達の悩み、孤立感、無力感、経済的不安や将来が見通せない閉そく感など、子育て世代のしんどさがわからないわけじゃなくて、むしろ、なにがしかの力になりたくて、自分の子育て経験からアドバイスしようとしていたり、養育能力のあやしい親から子供を守ってやりたいという思いからの遭えての苦言でもあるのではないかと思います。
子供は、親にとってだけじゃなく、社会全体にとっても将来を担う存在です。親任せにせず、社会で、育てていくべきだと考えが広がりつつあるのでしょう。
後を絶たない虐待や機能不全家族、近頃、注目を集めている「子供の貧困」も、親任せにして放置していては連鎖を断ち切ることはできません。しかし、そういう問題は、一言二言で説明がつかない理由や背景が複雑に絡んでいて、素人が、自分の経験だけでアドバイスしたり、批判して解決することはないでしょう。
私たち「外野」の人間が、子供たちに対して、子育て世代に対して、すぐに出来ることはなんなんだろう・・・
そんなことを考えるようになり、最近「大阪子どもの貧困アクショングループ」の勉強会に参加したり、関連の本などを読んだり、いろんな人の話をきいたりしています。
そして、メディ・カフェでも「養育責任の社会化」をテーマにしてワークショップをやりたい!と強く考えるようになりました。

さて、「強く考えるようになった」といっても、具体的にどうしたらいいのか・・・がまだ決まっていません。というか私自身が「養育責任の社会化」について、まだほんとに、うすぼんやりとしたイメージしかつかめていないのですから困ったものです。

そんな中、弱い頭を絞って、あれこれ考えている時に、ふいに浮かんできたのがスタジオジブリの「魔女の宅急便」でした。なぜ?魔女宅??自分でも不思議でした。
じつは、「魔女の宅急便」は、ジブリ作品の中でも、一番個人的に思い入れがあるアニメーションです。ちょうど美術系の短大を卒業し、陶器の絵付けをする仕事をするため、生まれてはじめて親元を離れて寮生活をしはじめたころに映画館で見て、非常に感動して、お金なかったけど何度も映画館で見て、当時は1万円以上したビデオも買って…。
この作品を好きっていう人は多いけど、私のように、「最初から最後まで何度でも泣ける」というのは少数派らしく、一緒に見に行った友人にも怪訝な顔をされたものです。
私が、この作品の中で一番好きなのは、冒頭の生まれた村を魔女見習いのキキが飛び立つところ。
古い箒に跨って、勢いよく飛び立ったはいいけど、バランスを崩して森の木に激突。あっちにぶつかり、こっちにぶつかりしながら、でもなんとか旅立っていきます。木々につけられて鈴が、チリーンチリーンと鳴って、その音がだんだん小さくなって、耳を澄ましていた町の人が
「あの鈴の音も、当分、きけなくなるなあ・・・」というところで、私はいつも涙があふれてしまうのです。
なぜだろう・・・自分でもなぜ泣けるのか、そしてなぜ「養育責任の社会化」を考えるときに連想したのだろうかを考えてみたいと思います。


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